【高知県大月町龍ヶ迫】高知県と愛媛県の文化ミックスとだるま夕日の絶景ポイント

潮風薫るひがしやまの産地「龍ヶ迫」。高知県と愛媛県の県境に位置することから特徴的な文化背景をみることができ、西岸が海に面することからだるま夕日の絶景ポイントでもあります。

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龍ヶ迫集落 近景

民家があるのは半島の南側で、一番高いところにあるのがかつての小学校

大月町中心部から県道357号線を南まわりに龍ヶ迫に向かってきた様子を、以下リンクの記事でご紹介しています。

【高知県大月町龍ヶ迫】風力発電と段畑の特徴的な風景

 

龍ヶ迫バス停

龍ヶ迫バス停

高知西南交通・龍ヶ迫バス停

県道から集落へわかれる三叉路にバス停があります。

龍ヶ迫バス停 運行ダイヤ

「道の駅大月-龍ヶ迫白崎」間を1日2.5往復運行されている路線バス

龍ヶ迫→道の駅…朝・昼
道の駅→龍ヶ迫…昼・夕・夜

「龍ヶ迫は公共交通機関で行くことができますよ」と言ってしまうところでしたが、ダイヤを見るとそれは難しいです。滞在時間が13分しかありません。バスのダイヤを見るに、こちらは事実上龍ヶ迫住民さんたちが大月町の中心部へ通学・通院するためのもののようです。

 

かつての小学校が夏シーズン営業の宿泊施設に

自遊学校 龍ヶ迫

龍ヶ迫集落の一番高台(一枚目写真のイチョウの木がある場所)に、かつての小学校校舎を再利用した宿泊施設「自遊学校」がある

明治9年(1876)ころ…大浜(現・愛南町)の住民らが龍ヶ迫へ移住
明治12年(1879)ころ…龍ヶ迫尋常小学校開校
明治22年(1889)4月…町村制により奥内村(おくうちむら)発足 ※この時点で龍ヶ迫は大字として認められず、大字芳ノ沢(よしのさわ)の一部
昭和26年(1951)11月…町に昇格、大内町(おおうちちょう)
昭和30年(1955)…龍ヶ迫が大字として認められる
昭和31年(1956)…校舎新築 ※現在の自遊学校の建物
昭和32年(1957)2月…合併により大月町発足
昭和46年(1971)…児童数減少により弘見小学校に統合、龍ヶ迫小学校廃校
平成2年(1990)…旧龍ヶ迫小学校の校舎を利用した自遊学校開校

今も昔も龍ヶ迫の歴史と並行して小学校がある感じです。かつての小学校校舎に宿泊することが出来る自遊学校は、夏シーズンを中心に営業されているようです。

自遊学校ホームページ→http://xn--48s290a07tuen.jp/

 

船越半島

龍ヶ迫からの船越半島

見えている陸地は愛媛県愛南町の「船越半島(ふなこしはんとう)」

自遊学校がある場所は集落高台なので、ここから眺める景色も素敵です。
船越の地名の由来は字の通り「船が越えた」場所。入り組んだリアス式海岸においては、半島の先端を迂回するよりも船を一度陸に上げてから担いで反対側へ越える方が近くて早かった。岬の先端という場所は概して潮の流れが複雑だったりするので、下手に近寄ると危険が伴うといった事情もあります。周辺よりも土地が低い地峡(ちきょう)部分が選ばれ「船の陸越え」が行われていました。この写真では右側の低くへこんだ地点がそれが行われていたところ。地名はずばり「愛南町船越(あいなんちょうふなこし)」です。船越半島の北に位置する由良半島でも同じような事情で船の陸越えが行われていた場所があり、そこの地名もやはり「船越」です。そちらの船越は昭和時代に開削されて、現在は船が通行することができる船越運河になっています。

船の陸越え作業は地元にとっては貴重な収入源にもなったようで、その報酬は人夫さん一人当たり酒一升の報酬だとか、米一俵だとか。もちろん現金で支払われることもあったのでしょうが、どちらかといえば物品と引き換えに行われた昔話をよく耳にします。そのころはまだ貨幣が主体の社会ではなかったのかもしれません。しかしながらそれのような対価を投じて船主や荷主が船の陸越えを依頼していたあたり、費用対効果つまりその方がコスパが良かったのかな、と想像します。

半島左端は船越半島の先端「高茂岬(こうもみさき)」
四国でいえば足摺岬や佐田岬のような知名度はありませんが、そのぶん自然を感じることができる岬になっています。晴れた日のそちらからの景色は絶景。四国の最西部でもあるので、景色を眺めるなら夕方が特にお勧めです。その高茂岬の左側にうっすら写真に映っているのが九州大陸。場所でいえば大分県佐伯市付近。中務茂兵衛標石の施主として頻繁に登場する「豊後國南海部郡(ぶんごのくにみなみあまべぐん)」の辺りが見えています。

 

ひがしやま製造所

ひがしやまの干場 龍ヶ迫

旧龍ヶ迫小学校から南側を見下ろすと、そちらには龍ヶ迫の集落が広がっています

高知県沿岸部で見ることができる家並みは壁に漆喰を用いた白壁の家屋が多いのですが、龍ヶ迫に関してはそれというよりは色壁の家の方が多く存在するような気がします。これは愛媛県で見ることができる家屋の特徴。伊予に由来する開拓者が築いた土地であることを、家屋の様式から知ることができます。
この高知県の中にある伊予式の民家は、宇和島藩領だった鵜来島(うぐるしま)の家々やその南にある沖ノ島にもあります。後者は宇和島藩/土佐藩によって分割統治が行われていたので、北側の母島(もしま)集落は伊予式、南側の弘瀬(ひろせ)集落では土佐式と、島の中で予土異なる家屋形式を見ることができます。

一番左手前の民家の道路側。緑色のネットと茶色いものが海の方に向けて並べられているのが分かります。これぞまさしく干し芋「ひがしやま」を干しているところ。こちらのお宅はひがしやまの製造所のようです。海沿いのガードレールの先に迫り出した装置がありますが、こちらもひがしやまの干場と思われます。
※ひがしやまに関しては、以下リンクの記事でご紹介しています。

【道の駅ふれあいパーク大月】キャラメルのような味と食感の大月町特産ひがしやま

海沿いのひがしやま干し場 龍ヶ迫

ひがしやま干し場に近付いてみた

この時は海に迫り出した干し場にひがしやまは出ていませんでしたが、気候が良いときなど最盛期は道の駅ふれあいパーク大月で見た製造工程の写真のように所狭しとひがしやまが並べられていることでしょう。
潮風と太陽を浴びた芋は持てる甘さをその内部に蓄えていく。それがあのキャラメルのような食感と味になるのかと思うと感慨深いものがあります。

 

だるま夕日のチャンス到来

浮島現象 龍ヶ迫

浮島現象が発生している鵜来島の海岸線はだるま夕日が見える日のサイン!

龍ヶ迫散策を行っていると徐々に陽が傾いてきました。散策は日没と同時に終了です。
そのラストシーンが迫りつつある頃、鵜来島を見ると島の両端が水面から少し浮いたように見える「浮島現象」が発生しています。これは暖かい海水の上に冷たい空気があるとそこを通る光が屈折することにより発生する現象で、これが見えるとあるものが期待できます。散策の足を止めて、この場所で太陽を待つことにします。

日没時間 龍ヶ迫

狙い通り太陽が落ちてきました

ここは宿毛(すくも)の隣町・大月町。宿毛といえば「だるま夕日」の見える街。だるま夕日は冬の寒い日のよく晴れた日没時に見ることができる現象。浮島現象はそのサインなわけです。ここまで沈むと続きは早い早い。だるまになるその瞬間を固唾を飲んで見守ります。

日没間近 龍ヶ迫

雲が…

ああー!なんということ。スタンバイから何から完璧に思えた最後の最後に、雲がかかるというアクシデント。

だるま夕日 雲 龍ヶ迫

結構分厚い雲が水面に掛かっていたんですね

あともうちょっとだったのに…。気候条件はバッチリでしたが、降って湧いた龍ヶ迫からのだるま夕日観察は不発に終わりました。

日没 龍ヶ迫

鵜来島の左は雲ですが、島の右に少し見えている影は陸地で宮崎県北部

残念ながらだるま夕日を見ることができませんでしたが、普段生活していて夕陽を眺める時間なんてなかなか取れないことを考えると、ひがしやまをきっかけに龍ヶ迫旅の終わりによき時間を過ごすことができたように思います。この時は暦が冬至近い頃だったので、太陽が沈んだ位置としては南限。これが日が経つと太陽が沈む位置が徐々に北に移動して、鵜来島に近付いていきます。鵜来島に接近した時にだるま夕日を見ることができたら最高でしょうね。

そうはいっても、龍ヶ迫への道路事情を考えると「よし行こう!」となるには結構な覚悟が必要です。そもそも大月町自体が一生でそう何度も来ることができる場所ではありません。この場所に限らずだるま夕日を見ることができたら、それはとても幸運。また機会があれば狙ってみたいと思います。

 

【「自遊学校」 地図】

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この記事を書いた人

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。