【87番札所長尾寺】源義経の愛妾「静御前」とその母「磯禅師」の得度と「剃髪塚」

87番札所長尾寺は源義経の愛妾「静御前」が得度した寺院と伝わり、母「磯禅師」が香川県出身であったことが関係しているとされます。得度の儀式で剃り落とした髪を納めた場所が「剃髪塚」となり、現在も手厚く祀られています。

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87番札所_護摩堂前台座

87番札所長尾寺の護摩堂前に築かれた台座には、左からラジオ塔、地蔵菩薩、そして静御前の剃髪塚があります。

 

静御前の母「磯禅師」は香川県出身

磯禅師_墓所

87番札所長尾寺近くの長尾街道を西に向かい、井戸川の手前に磯禅師の墓所がのこされています。

静御前(しずかごぜん)の母「磯禅師(いそのぜんじ)」は、讃岐國小磯(現・香川県東かがわ市小磯)の生まれといわれ、その母娘のエピソードが香川県東部に数多く伝わります。

壇ノ浦の戦い(1185年)で平家を滅ぼした源義経(みなもとのよしつね)ですが、戦後の褒賞などで兄である源頼朝(みなもとのよりとも)の怒りを買い追われる身になります。義経は愛妾の静御前らを連れて吉野山へ逃れようとしますが、そこは女人禁制のお山。その地で両者は行動を別にすることを決意しますが、これが結果的に二人にとって今生の別れになります。
義経一行と別れた静御前は京に戻る途中に捕らえられ、鎌倉へ護送された後に厳しい詰問に遭いますが頑なに口を割らなかったといわれます。このとき静御前は義経との子を妊娠していましたが、その後生まれて来た子が男児だったためその日のうちに命を絶たれます。

1186年になり鎌倉を出ることを許された静御前は、京を経て母の生まれ故郷の讃岐國に身を寄せます。そこはかつて屋島の戦い(1185年)で義経が活躍した地であり、多くの源氏方の兵たちが戦に散った土地でもあります。母娘はその弔いで寺社を回る中で出家を決断し、長尾寺(現・87番札所長尾寺)にて9代住職宥意和尚によって得度を受け仏門に入り、それぞれ「磯禅尼(いそのぜんに)」「宥心尼(ゆうしんに)」となります。1189年のことでした。

上の写真の磯禅師の墓所がのこされている場所は、晩年の磯禅師が長尾寺へ参拝に行った帰りに倒れ、息を引き取った地と伝わっています。後年この場所は高松城下から続く長尾街道となり、近代には車道になりました。そのため現代でも多くの車両が行き交う少々騒がしい場所になっています。
※本記事に関連して、以下リンクの私が別サイトで書いた記事に滋賀/岐阜の県境地点に義経に恋焦がれる静御前のエピソードが登場しますので、ぜひこちらもご覧ください。

東西境目に芭蕉も通った歴史の道<寝物語の里/滋賀県米原市・岐阜県関ケ原町>:
https://soraumi-doggie.com/bordernemonogatari-shiga-gifu/

 

長尾のかぐや姫伝説

さぬき市マンホール_かぐや姫のふる里長尾

歩き遍路の旅では、路上でその土地ならではのデザインのマンホールを目にする機会が多々ありますので、注目してみるとおもしろいと思います。

マンホールを見るとその土地の名所・名物がわかるといわれますが、旧長尾町(現・さぬき市)が設置したマンホールの蓋には女性が描かれています。その表題は「かぐや姫のふる里長尾」です。

磯禅師・静御前の話とは別に、長尾にはかぐや姫伝説が伝わっています。
静御前よりずっと昔の話。この地は竿調國(さおつきのくに)と呼ばれ、朝廷に竹材を献上する竹の産地でした。そこへ都の戦乱から逃れてきた貴族が住み着き、後に都が平和になるとその者を迎える使者が訪れた。このエピソードと竹の産地を合わせて創作されたのが長尾のかぐや姫のお話です。その貴族については男性=皇子かもしれませんし、女性=姫だったかもしれません。ですが専ら女性=姫のように語られるのは、当地に伝わる静御前の伝説も作用しているんじゃないかなあと思っています。

※磯禅師と静御前の伝承や終焉の地は全国各地に存在します。当記事ではその説のひとつとお考えください。

 

静御前剃髪塚

87番札所長尾寺_静御前剃髪塚

旧長尾町と隣の三木町には静御前ゆかりの場所とエピソードが数多く伝わります。

義経と静御前の出会いは、一の谷の戦い(1184年)に勝利して京へ凱旋した際、時の権力者である後白河法皇の褒美として機会を与えられました。
それから1年後に四国へ渡り、屋島で平家と一戦交えることになりますが、義経は四国上陸に際し嵐に遭い目指す讃岐國ではなくもっと南の阿波國に漂着、現在の18番札所恩山寺の付近に上陸したとされます。
その時点で幾人もの兵を失い、屋島を目指して3番札所金泉寺まで北上してきた時には疲れ切ってた兵たちを鼓舞した弁慶の力石のエピソードや、その先の大坂峠を越えた地では休息の必要に迫られ馬を休ませた馬宿(現・香川県東かがわ市馬宿)など、その軍勢はおおよそ万全の体制とは思えません。先に安徳天皇を奉じて四国讃岐へ渡り檀ノ浦に陣を構えていた平家の軍勢と比べると、なぜ屋島の戦いに勝利できたのか不思議なくらいです。

そこは静御前を通じて、当地に地縁がある磯禅師の助力と根回しが効果的に作用したのかもしれませんね。

87番札所長尾寺_静御前剃髪塚_案内板

長尾寺で得度を受けて宥心尼となった静御前は、その際に美しさの象徴であった長い髪を剃り落としこの地に納めました。

静御前が剃髪したと伝わる長尾寺では、境内の一段高い場所に「剃髪塚(ていはつづか)」として祀られ、現在も大切にされています。剃髪と同時に義経の形見の品を手放すことで俗世への未練を断ち切り、仏門への決意を行ったと伝わっています。

※同じ台座にあるラジオ塔に関して、以下リンクの記事で詳しくご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【87番札所長尾寺】四国内に3ヶ所現存する「ラジオ塔」のうちのひとつ

※長尾寺近くの静御前ゆかりの遺蹟「鼓渕」に関して、以下リンクの記事で詳しくご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【87番札所長尾寺近く】静御前が源義経の形見である鼓を手放した「鼓渕」

 

【「87番札所長尾寺の静御前の剃髪塚」 地図】

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この記事を書いた人

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。