遍路道沿いの「丸型ポスト」は、なんとなく郷愁を誘います。「台風銀座」と呼ばれる風雨の厳しい室戸岬は丸型ポスト密集地帯で、力強く生きる姿をまとめてみました。
「丸型ポスト」=「郵便差出箱1号(丸型)」とは
ここで「丸型ポスト」とよんでいるポストですが、正式名称は「郵便差出箱1号(丸型)」です。
まずは、少しおかたいですが、基礎知識から。
日本で郵便制度が始まったのは明治4年(1871年)年で、このときに日本で最初のポストも誕生しました。
当初は木製の簡易なものでしたが、明治34年(1901年)に火事に強い鉄製の赤色丸型ポストができました。
こポストを「赤色」に塗ったのはポストの位置をわかりやすくするため、かどを丸くしたのは通行のじゃまにならないようにという理由からでした。
昭和の戦時体制下では物資不足のため、コンクリートや陶器など、代用の資材を用いたポストが出現しましたが、昭和20年(1945年)に終戦をむかえ、再び鉄製ポストが製造され始め、全国的に普及したのが「郵便差出箱1号(丸型)」です。
その後、ポスト内に収集袋を吊り下げることにより効率よく回収できる「角型ポスト」が開発されたことにより、昭和45年(1970年)に「丸型ポスト」の製造・設置が終了し、現存する「丸型ポスト」は全国で5000~6000基といわれていて、昭和初期の歴史を感じられるある意味「文化財」となっているのです。
今ではマニアともよべるような丸型ポストファンもいるほどのようですが、私は遍路を始めるまで興味があったわけではなく、たまたま丸型ポストが好きな知人がいたことと、遍路出発地点のJR板東駅に丸型ポストがあったことがきっかけで、遍路道沿いの丸型ポストに着目するようになりました。
※遍路スタートのJR板東駅の様子は、以下記事もぜひご覧ください。
【JR高徳線板東駅→1番札所霊山寺】遍路初心者立ち寄り必須の店
厳しい風雨に負けない室戸の丸型ポスト
四国の南端に位置する室戸は、例年通過する台風の数が多く「台風銀座」とよばれているほどです。
そんな厳しい気候の中でも、力強く生き続ける丸型ポストが複数あり、集落や人口が少ないのに、さながら「丸型ポスト銀座」ともいってもよいぐらい賑わいを見せていたのです。
室戸市内の遍路道沿いで私が発見した丸型ポストの写真をまとめてみます。
【木陰に身をひそめる丸型ポスト@椎名 元「久保酒店」前】
椎名の集落の国道55号から旧道に少し入ったところの、もう営業していない元酒屋さんの前にいて、郷愁の度合いでいうと他に類を見ないレベルに感じました。
【畑越しにこっそりとこちらを見つめていた丸型ポスト@最御崎寺下山後すぐ】
最御崎寺から山を下りてきて、海岸沿いの国道55号を歩いていると、畑越しに並行する旧道からこっそりこちらを見つめていました。
【自らが記念碑であるがごとくの誇らしげなたたずまいの丸型ポスト@室津港南旧道】
室津港が間近に迫った旧道商店街の地元の褒章受章者記念碑とともに誇らしげに直立不動でした。
【閉店舗の前でも堂々としている丸型ポスト@室津 「東町商店街」】
室戸市の中心市街地でありながら、現在は閉店舗が目立つ「東町商店街」でも、堂々と生き続けていました。
【国道の車の往来を見守る丸型ポスト@室津 国道55号沿い「お茶の清水園」前】
室戸市街地でも屈指の交通量をほこる国道55号の車の往来を至近距離から見守り、高知の南端でも「静岡茶」を提供できるお店を仁王がごとく守護していました。
【立派な宿坊の前で少し偉そうな態度の丸型ポスト@金剛頂寺 宿坊前】
26番札所「金剛頂寺(通称:西寺)」の敷地内、檀信徒会館(宿坊)の前にいて、ここの宿坊は札所の中でもトップクラスの施設・サービスとのことで、誇らしげでもあり、少し偉そうな態度に見えました。
【重要伝統的建造物群保存地区で現役引退後も存在感をはなつ丸型ポスト@吉良川の町並み 旧吉良川郵便局前】
大正時代の商家がそのまま多く残る「吉良川の町並み(重要伝統的建造物群保存地区)」で、現役は退きながら、独特のオーラを放ち、旧吉良川郵便局とのコンビっぷりはさすがでした。
ポスト自体の色や様子に個体差がありますし、設置されている場所によっても雰囲気が違い、着目してみるとおもしろいものです。
遍路中に他のエリアでも丸型ポストを記録していますので、随時ご紹介していきたいと思います。
※「丸型ポスト」に関しては、以下タグリンクの記事もぜひご覧ください。