【60番札所横峰寺への遍路道】神仏習合や歴史・遍路事情の変遷を現代に伝える「妙雲寺」

60番札所横峰寺への登り口の途中、愛媛県西条市小松町に位置する石鈇山妙雲寺。 現在では見ることができなくなったいくつかの物を目にすることができます。

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蔵王宮と呼ばれる本堂の前身は…

妙雲寺本堂

妙雲寺本堂、別名 「蔵王宮」

石鈇山妙雲寺(いしづちさん みょううんじ)のこの建物、元々は61番札所香園寺の本堂。
"大聖堂" と呼ばれる鉄筋コンクリート造りの本堂が計画された際に、それまでの本堂が一度解体されこちらに移築された。

 

神仏習合の名残が色濃く残る

妙雲寺本堂 扁額

蔵王宮の扁額

「石鎚蔵王大権現」 が祀られていることを意味する。 それと共に寺院としての本尊 「大日如来」が祀られる。
それぞれ由来するものは、石土神社(石鎚神社)・60番札所横峰寺。神仏習合の名残が色濃く残る方式となっている。

揮毫は小松藩第三代藩主である 一柳頼徳(ひとつやなぎよりのり)によるもの。 書家としては直卿(なおあきら)の名前で呼ばれ、諸侯随一の能書家として知られた人物。

妙雲寺入口 狛犬

狛犬が残る

山門は無く 入り口には一対の狛犬。

狛犬は通常神社にあるもの。 神仏習合の歴史を今に伝える貴重な物証と言える。

妙雲寺境内

番外妙雲寺の境内

妙雲寺の入口には珍しい新旧遍路石が並んでいるので、こちらもぜひご覧になってから進まれてください。
※妙雲寺の遍路石に関しては、以下リンクの記事もぜひご覧ください。

【60番札所横峰寺への遍路道】新旧遍路石から見えてくる古の遍路道事情

 

妙雲寺の歴史

60番横峰寺が明治元年の神仏判然令によって廃寺となり、復興するまでに複雑な歴史を辿ったため、妙雲寺を含む周辺の寺院がその歴史に翻弄された。

60番横峰寺→(1871年/明治4年)石鎚神社横峰社→(1879年/明治12年)大峰寺→(1885年/明治18年)60番大峰寺→(1909年/明治42年)60番横峰寺

60番前札所清楽寺→(1871年/明治4年)60番清楽寺→(1885年/明治18年)60番前札所清楽寺

60番前札所極楽山妙雲寺→(1884年/明治17年)火災→(1895年/明治28年)60番前札旧跡大儀寺→(1957年/昭和32年)石鈇山妙雲寺

明治の神仏判然令により60番横峰寺が廃止されることになり、存続のため神社になった。
それによって60番札所の機能を清楽寺が引き継いだ。
しばらくして横峰寺が大峰寺の名前で再興。
清楽寺には札所機能の返上が求められた。
返上は止む無しとして、そのタイミングを見計らっていたところ、妙雲寺が火災に遭った。
妙雲寺も60番前札所を名乗る寺院、それがある日妙雲寺が火災によって焼けた。
清楽寺にとっては60番前札所を単独で名乗ることができる絶好の機会。

双方取り決めにより 60番大峰寺、60番前札所清楽寺となった。

大峰寺はしばらくして元の横峰寺に名に戻った。

妙雲寺は近くにあった鶴来山大儀寺を移し、60番前札旧跡として再興。 戦後、再び妙雲寺を名乗っている。

 

60番札所横峰寺に向かう遍路道途中にある「妙雲寺」は、時代や遍路事情に翻弄されたお寺であり、神仏習合を含めその歴史を現代にも残す番外霊場です。
札所だけではなく、このような史跡を巡り歴史を深堀りしていくのも遍路の醍醐味のひとつだと思います。

 

【「妙雲寺(60番横峰寺への遍路道途中)」 地図】

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この記事を書いた人

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。