香川県中部の丸亀平野に位置する78番札所郷照寺は、冬至の入日を意識した堂宇配置になっています。飯野山や青ノ山など周辺のランドマークとそれに関係する寺社の配置をレイライン的な観点で見ると新しい発見があります。
レイライン的な観点から見た札所の構造
四国八十八ヶ所の札所は、由来書はもとより、様々なガイドブックや寄稿文などで、その歴史が紹介されています。そんなこともあって、すでに語り尽くされているような印象がありますが、個々の札所をその構造から分析するレイラインハンティングの観点で見直してみると、今まで語られてこなかった札所の歴史や、個々の札所に込められた古の人の思いが明らかになってきます。
今回は、宇多津にある78番札所郷照寺をレイラインハンティングの手法で分析したレポートをご紹介します。
四国の一大海運拠点の面影を残す宇多津
香川県中部の丸亀平野に差し掛かると、さらに視界が開け、気分も伸びやかになってきます。
宇多津エリアでは、札所は78番の郷照寺のみになりますが、宇多津は、室町時代の守護所が置かれたところであり、讃岐、土佐の守護に加え、阿波、淡路、伊予二郡の管理も統括する四国の一大中心地の面影を残しています。郷照寺周辺は落ち着いた寺町を形成していて、宇多津の産土である宇夫階神社もあります。
宇多津が瀬戸内の海運拠点とされていたこともあり、全国各地の文化が残されているのも特徴で、茨城県の鹿島神宮を発祥とする「鹿島踊り」が西日本で唯一伝えられているところでもあります。
78番札所郷照寺(ごうしょうじ)
<由緒>
四国八十八ヶ所78番札所郷照寺
時宗・真言宗 仏光山広徳院
本尊:阿弥陀如来
行基が神亀2年(725)に一尺八寸の阿弥陀如来を本尊として開基し、大同2年(807)に空海が伽藍を整備した。その際、厄除の誓願をして大師像を納めたので、「厄除うたづ大師」として信仰されるようになったと伝えられる。後に一遍上人が布教の拠点として、その際に時宗も取り入れられた。四国八十八ヶ所中唯一の時宗寺院。
二至を指す寺社と遺跡
郷照寺の本堂は、冬至の入日を背にして、夏至の日出と向かい合う配置となっています。これは善通寺と同じ構造であり、宇多津市街の条里の一部も善通寺市街と同じ方位を意識しているので、太古にまで遡る共通の信仰体系に基づいたものと思われます。
青ノ山麓の三ツ石
郷照寺は南に聖山・青ノ山を背負いますが、この山は宇多津と丸亀の境界のランドマークであり、郷照寺が正対する方向の山並みもやはり町の境界を示していることから、ここが古来、宇多津の領域を一望する場所であったことがわかります。
青ノ山の麓には三ツ石と呼ばれる巨石があります。伝承では、この地方を治めていた豪族の墳墓だとされていますが、それを示すような副葬品などは発見されておらず、祭祀遺跡の可能性が高いとも考えられています。
二つの巨石を柱のようにして上に同じような大きさの巨石が載せられていて、その隙間から青ノ山の山頂方向が見通せ、これがちょうど冬至の入日方向に一致しています。この構造を見ると、古墳の玄室のようなものではなく、古代の暦のような役割を果たすような建造物だったのかもしれません。これは、郷照寺の構造とも一致しているので、この遺跡と郷照寺は密接な関係があるものと思われます。
宇多津の産土「宇夫階神社」
郷照寺に近い宇夫階神社は、宇多津の産土ですが、その本殿と参道は冬至の日出の方向を指しており、郷照寺が夏至の日出-冬至の日入の二至線を指すのと対になっています。
宇夫階神社本殿の背後には大きな磐座があり、立地する山の頂上部には巨石群があり、宇多津港からはかっこうのランドマークになっていたことが想像できます。
中世に宇多津が海運で栄えたことを考えると、この巨石群を航行の目印として、そこに良港も存在したため、海人族が住み着いて、信仰を発展させてきたのかもしれません。それは金毘羅宮などにも共通しています。
讃岐富士と亀山神社
宇多津から少し広域に見回すと、隣接する丸亀市では、香川県に多数存在するおむすび形の山の中でももっとも著名で、讃岐富士と呼ばれる飯野山が存在する。その周辺にもレイライン的な配置を意識した神社がみられます。
このように、78番札所郷照寺がある丸亀平野には、飯野山、青ノ山といったわかりやすいランドマークと、レイライン的な配置を意識した寺社が現在も多く残っており、かつての歴史・歴史文化を体感するのに適した場所であるといえます。
【「78番札所郷照寺」 地図】