【知多四国霊場61番札所高讃寺】幾度も戦乱に巻き込まれた行基開基のかつての大寺院

愛知県常滑市にある知多四国霊場61番札所高讃寺は、知多四国霊場の中でも特に歴史が長い「知多三山」のひとつで、昔は地域に大きな影響力をもった大寺院でした。幾度もの戦乱に巻き込まれながら様々なエピソードを現代に伝えています。

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幾度も戦乱に巻き込まれた知多四国霊場61番札所高讃寺

常滑市(とこなめし)は、知多半島の中央部に位置し、昔から常滑焼に代表される陶器の街として栄えてきました。平成17年(2005年)2月17日には中部新国際空港(セントレア)が開港し、巨大ショッピングモールが建設されるなど周辺地域の開発が進み、一気に多くの人が訪れる都市になりました。

常滑市の中の中央部の西阿野(にしあの)エリアに、知多四国霊場の中でも特に歴史が長く中心的な役割を担う「知多三山」のひとつに数えられる、知多四国霊場61番札所高讃寺(こうさんじ)があります。※知多三山に関しては、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【知多四国霊場】特に長い歴史をもち中心的な役割を担う「知多三山」

40代天武天皇の祈願寺として、白鳳12年(684年)に「行基(ぎょうき)」によって創建されました。当時は、七堂三百坊の僧院がある大寺院であったと伝わっています。しかし、天文6年(1537年)に、「桶狭間の戦い」で有名な織田信長と今川義元の戦乱の影響をうけて、寺の建物は無惨にも大半が焼失してしまいました。天文12年(1543年)に一部は再興されてはいますが、文禄年間(1592〜1595年)に再び戦乱に巻き込まれ、天文年間に再建した8院(大坊、宝蔵坊、中之坊、南之坊、四乃坊、柏之坊、上之坊、普賢坊)の内、7院を焼失してしまいました。
何度も苦難にあいながら、南之坊の1院だけが唯一残り、それが現在の高讃寺です。

知多四国霊場61番札所高讃寺

緑に囲まれた知多四国霊場61番札所高讃寺。

 

戦乱をくぐり抜けた仁王像と生命力あふれる椿の大木

高讃寺には興味深いエピソードが残っています。
戦乱になると、城はもちろん寺院など地域の拠点になるような場所には容赦なく火が放たれます。そうすると昔ながらの木造寺院は見るも無惨に焼失してしまい、歴史的建造物や貴重な芸術的作品などが失われることになります。
高讃寺にある仁王門の仁王像も例外ではありません。織田信長と今川義元の戦乱のとき、貴重な仏像などを守るために、寺近くの池に投げ入れられたそうです。その後、長い時間が経って、江戸時代になってから、池から引き上げられた仁王像が、現在でも仁王門に祀られています。この仁王像は高さ3mで、知多四国霊場の札所の中で最大のもので、戦乱をくぐりぬけた希少な像として大切にされています。

高讃寺_仁王門。

貴重な仁王像が祀られている仁王門。

知多四国霊場61番札所高讃寺_仁王像_吽像

このような大きい像が池に入れられたことで難を逃れたというのはにわかに信じがたいです。

知多四国霊場61番高讃寺_仁王像_阿像

戦乱をもくぐり抜けた仁王像は大迫力で、今も高讃寺を守り続けています。

高讃寺がある常滑市中央部から東は丘陵地になっていて、自然豊かな環境が広がっています。広大な田園や森があり、現在の高讃寺は自然の中にひっそりと佇んでいます。
寺院入口は階段になっていて、木々のアーチを抜けて境内に入っていきます。静寂な境内にはまるでジブリの映画に出てきそうな椿の大木があり、推定樹齢約350年で常滑市の天然記念物に指定されています。この椿の大木は、パワースポットとしても認知されていて、多くの参拝者が力をいただきに訪れています。

知多四国霊場61番札所高讃寺_椿の大木

たくさん枝わかれして生命力がみなぎっている椿の大木。

高讃寺周辺や境内は自然が豊かな分、ヤブ蚊など虫が多い側面もあるので、虫除け対策を万全にして参拝するのがよいでしょう。参道には枯葉が多く積もっていることがあり、滑らないように足元にご注意ください。また、境内にトイレはありますが、仮設のものなので、近くの60番札所安楽寺や62番札所洞雲寺のトイレを利用するか、近くのコンビニにお借りすることをおすすめします。
お寺のすぐ近くを知多半島の主要道路である国道247号線が通っていて、自家用車で巡礼する人に便利ですが、交通量が非常に多いので、安全なお参りをお願いします。

 

高讃寺と関わりがある近隣の知多四国霊場の3札所

高讃寺の近隣には、高讃寺と深く関連している知多四国霊場の札所があります。

 

●知多四国霊場60番札所安楽寺(あんらくじ)

天正14年(1586年)に長安久公和尚が開基しました。
御本尊は行基作と伝わる阿弥陀如来で、この像は織田信長と今川義元の戦乱を逃れるために、高讃寺から移されたとされています。

知多四国霊場60番札所安楽寺

高讃寺から移されたとされる阿弥陀如来像が祀られている知多四国霊場60番札所安楽寺。

 

●知多四国霊場62番札所洞雲寺(とううんじ)

織田信長と今川義元の戦乱の時に、高讃寺の貴重な仏像などを守るため近くの田畑に埋めたり池に投げ入れて焼失を逃れ、その後の江戸時代に、付近の池を工事していたときに池の中から阿弥陀如来像が発見されました。これを御本尊として創建されたのが洞雲寺で、阿弥陀如来像には、引きあげるときにできた傷跡が、今でも確認できます。

知多四国霊場62番札所洞雲寺_本堂。

池から引きあげられた阿弥陀如来像が祀られている知多四国霊場62番札所洞雲寺の本堂。

 

●知多四国霊場63番札所大善院(だいぜんいん)

はっきりした時期は不明ですが、高讃寺が少しづつ衰退していっている状況を嘆いた養春上人が、高讃寺の一坊にあった十一面観音菩薩像を、この地に移したのが大善院の始まりとされています。

    1. 知多四国霊場63番札所大善院

      十一面観音菩薩像が移され開かれた知多四国霊場63番札所大善院。

 

高讃寺周辺の寺院の歴史を紐解いてみると、昔は高讃寺は大いに繁栄した大寺院で、地域全体に大きな影響力をもっていたことがわかります。

 

高讃寺は幾度も戦乱に巻き込まれる数奇な運命をたどりながら、後世になんとかつないでいこうとする努力が、現代にも伝わる様々なエピソードを生み出しました。お寺のすぐ近くを南北に走る国道247号線の脇には、季節の花畑と呼ばれる花壇が広範囲に続き、四季折々の綺麗な花で彩られますので、豊かな自然を楽しみに周辺の寺院も含め巡ってみてください。

 

【「知多四国霊場61番札所高讃寺」 地図】

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この記事を書いた人

知多半島のお寺が好きで、知多四国霊場を中心にいろいろな霊場を巡礼し、観光やご当地グルメ(特にラーメン)も楽しんでいます。御朱印集めも趣味で、知多半島のお寺の御朱印はもちろん、全国各地の御朱印をもらいに巡り、アート御朱印などは取り寄せたりもしています。