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土佐国分寺の森が見える場所、国分川を渡り寺院間近というところに、中務茂兵衛標石が残されています。

見えている森は第29番国分寺、その左側は長宗我部の根城・岡豊城

東西弓なりの形をしている高知県の県庁所在地は高知市。県のほぼ中央部に位置し立派なお城もあることから、誰も異論はないところと思います。しかしながら、高知の城下が県(國・藩)の中心になった歴史は江戸時代以降。それよりも古くに中心だった時代が長いのは、現在の南国市周辺です。市内には第29番国分寺があり、 「国府」の地名がそれを今に伝えます。

 

中務茂兵衛 < 弘化2年(1845)4月30日 - 大正11年(1922)2月14日 >

周防國大嶋郡椋野村(現 山口県周防大島町)出身。
18歳の頃に周防大島を出奔。明治から大正にかけて 一度も故郷に戻ることなく、四国八十八ヶ所を繰り返し巡拝する事 279回。バスや自家用車が普及している時代ではないので、殆どが徒歩。 巡拝回数は 歩き遍路最多記録 と名高く、また今後も上回ることはほぼ不可能な不滅の功績とも呼ばれる。 
明治19年(1886)、茂兵衛42歳。88度目の巡拝の頃から標石の建立を始めた。標石は四国各地で確認されているだけで243基。札所の境内、遍路道沿いに多く残されている。

—– こちらの記事に登場する主な地名・単語
標石(しるべいし)
周防國大島郡椋野村(すおうこくおおしまぐんむくのむら)
高知県(こうちけん)
高知市(こうちし)
南国市(なんこくし)
第29番国分寺(だい29ばんこくぶんじ)
国府(こくふ)
第28番大日寺(だい28だいにちじ)
(たもと)
岡豊城(おこうじょう)

 

標石の正面に表記されている内容は

“阿波”と見えるけれど…

國分寺
阿波國●●
二十●●

こちらの標石全体的に劣化が激しく、字の判別がとても難しい。また下部が破損してコンクリートの下駄を履かせているので 字自体が切れてしまっています。

★ 雨風激しい気候に立っているため、他県と比べて劣化が激しい
★ 土佐特有の石質によるものか
★ 安価な石を手配したか
★ 職人の実力
ざっと思いつく理由はこんなところです。

 

標石の左面に表記されている内容は

ガードレールに半分囲われて、見にくい部分が多い


大日寺
明治三十年●●

西暦1897年。同年6月、京都帝国大学→後の京都大学が創立されました。

 

標石の右面に表記されている内容は

白化と剥離が多くみられる

壱百五十七度目為供養
周防國大嶋郡椋野村
願主 中務茂兵衛義教

ほとんど見えないです。記載内容は、わずかに見える「五」の字や「周防國」などの定型文からの想像。
中務茂兵衛、53歳の四国遍路です。

 

国分寺を指しているけれど

国分寺まですぐ

標石の指差しが国分寺を指していて、それも見えている…
けれど、歩き遍路さんの多くは厳密にはこの場所をあまり通りません。国分橋を渡ったところで左折して土手を少し歩きます。おそらくこちらの標石はその橋の袂にあって、護岸工事等の際に現在地へ移されたのではないかなあと考察します。

 

このところ標石の劣化が、とても気になります。
自分が初めて四国遍路を歩いた15年前と比べて、確実に風化が進んでいます。特に刻まれている字の判別が難しい。今でも既に遅い感がありますが、今のうちに記録に残しておかなければ、人々の記憶から四国遍路の普及に努めた人物(=中務茂兵衛)が忘れられてしまう。そう思って 本腰入れて標石の取材を始めました。

 

【「29番札所「国分寺」近くの標石」 地図】

 

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野瀬 照山

八十八ヶ所案内人・先達であり、旅人をお迎えするゲストハウスそらうみを運営。 四国八十八ヶ所結願30回、うち歩き遍路12回。 四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「さぬき高松ゲストハウスそらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。