【小豆島寒霞渓】奇岩怪石の風景は日本三大奇勝・日本三大渓谷美

香川県の小豆島にある「寒霞渓」は、奇岩怪石の独特な風景が特徴の渓谷で、日本三大奇勝、日本三大渓谷美のひとつとされています。四季折々の顔を見せる渓谷美と瀬戸内海の多島美のコントラストは一見の価値ありです。

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日本三大奇勝・日本三大渓谷美「寒霞渓」

瀬戸内海に浮かぶ香川県の「小豆島(しょうどしま)」は、瀬戸内海の島々の中では兵庫県の淡路島に次いで2番目の大きさで、昔から島独自の文化や産業が発展してきました。古くは、大坂城築城の際にも使われた石などの採石産業が盛んで、島の気候や産品、船での物流利点を活かした醤油や素麺の製造、近年では日本で最大のオリーブの産地としても知られています。
お遍路文化とも縁が深く、島内で完結する小豆島八十八ヶ所霊場は日本三大写し霊場のひとつとして、独自の巡礼文化が根付いています。

小豆島の景勝地としてもっとも有名なのが「寒霞渓(かんかけい)」です。島のほぼ中央に位置し、島の最高峰である星ヶ城山(ほしがじょうさん)と四方指(しほうさし)の間にある渓谷で、標高612m地点の雄大な大渓谷と瀬戸内海を一望する景観は、日本三大渓谷美のひとつとされています。

小豆島寒霞渓_表示板

高台に景色を見渡す展望スペースが設けられています。

寒霞渓は、古い火山活動で生まれた安山岩(あんざんがん)・集塊岩(しゅうかいがん)が長い年月の侵食により奇峰や奇岩怪石の風景になっていることが特徴です。
応神天皇が鉤をかけて岩山を登ったという故事から「鉤掛」「鉤懸」と伝えられ、「神懸」「神馳」 などとも表されています。江戸時代後期に奇岩怪石の風景を愛でる中国文化が儒学者・漢学者の間で広まり、寒霞渓も名所として知られるようになっていきました。 儒学者・書家の貫名海屋(ぬきなかいおく)は「浣花渓」の文字を当てて嘆賞し、明治11年(1878年)に漢学者の藤沢南岳(ふじさわなんがく)が「寒霞渓」と命名します。
寒霞渓を最も世間に知らしめたのは儒学者・漢学者の成島柳北(なるしまりゅうほく)でした。彼は明治12年(1879年)から明治14年(1881年)にかけて雑誌に「航薇日記(こうびにっき)」を連載し、「神馳」 を絶賛します。当時、漢学者の命名や漢詩文、紀行文は新たな名所を生みだしていました。藤沢南岳の寒霞渓は頼山陽(らいさんよう)の耶馬渓、 安積良斎(あさかごんさい)の妙義山とともに日本三大奇勝と呼ばれています。また、明治時代には寒霞渓と岡山県の豪渓(ごうけい)が「瀬戸内の二大奇勝」 と称されていました。

寒霞渓には、表12景、裏8景があり、固有植物である「カンカケイニラ」や「ショウドシマレンギョウ」が生育しています。また、「法螺貝岩」や「玉筍峰」などの奇岩を見ることができます。

寒霞渓_紅葉_奇岩怪石

奇岩怪石と紅葉のコントラストの景色が特に有名です。

明治43年(1910年)には、小豆島の神懸山保勝会の招きで、太平洋画会の洋画家たちが小豆島の写生旅行を行いました。翌年、その成果を画集 「十人写生旅行」 として出版し、さらに大阪商船などの便宜を得て瀬戸内海を旅行し、画集 「瀬戸内海写生一週」を出版することになります。中村不折(なかむらふせつ)、大下藤次郎(おおしたとうじろう)、鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)、吉田博(よしだひろし)、小杉未醒(こすぎみせい)らの30歳代から40歳代を中心とする12人の気鋭の画家たちによって描かれました。この明治時代末に出された二つの画集は、兵庫県の須磨や明石の名所絵から瀬戸内海の風景画へ大きく飛躍した点で画期的でした。名所の瀬戸内海から風景の瀬戸内海へ飛翔したのでした。大正12年(1923年)には、「神懸山(寒霞渓)」として国の名勝に指定されました。

 

寒霞渓ロープウェイからの絶景と映画・小説の舞台

寒霞渓には、ロープウェイが運行しています。こううん駅から山頂展望台までは約5分で、瀬戸内海の絶景を眺めることができます。このロープウェイでの空中散歩は小豆島観光のハイライトコースともいえるほどで、新緑の春と紅葉の秋はまさに絶景です。
山頂駅周辺には2箇所の展望台があり、寒霞渓山頂周辺には無料駐車場が完備されており、約200台分の駐車スペースがあります。
小豆島は数々のドラマや映画の舞台になってきましたが、寒霞渓は映画「八日目の蝉」「魔女の宅急便」などのロケ地になりました。八日目の蝉では鷹取展望台がロケ地になり、希和子を演じる永作博美さんと子役の薫も訪れた印象的な景勝地です。

小豆島寒霞渓_ロープウェイ

寒霞渓からの瀬戸内海の景色も絶景です。

小豆島の岬の分教場を舞台にした壺井栄原作・木下恵介監督の映画「二十四の瞳」は、教え子が戦争で亡くなっていく物語でしたが、小豆島の穏やかな風土がかえって戦争の暗い影を浮き彫りにしていました。

 

穏やかさやのどかさは瀬戸内海の真骨頂といっていいでしょう。おそらく瀬戸内海の風景は、まるで幼年期の原風景であるかのように、多くの日本人にほっとするふるさとにも似た親しみを与えるのではないでしょうか。温和な気候、穏やかな海、静かに浮かぶ島々、白い砂浜、港の漁船、社寺の祠と境内、山腹の段々畑、軒を接する民家、そして何よりもこれらを取り巻くのどかな時間、我々が現代社会の中で失ってしまった多くのものを瀬戸内海はまだ残しています。

※同じ瀬戸内海の備讃瀬戸エリアに関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【備讃瀬戸】現代アートで世界中から注目されている瀬戸内海の多島美

 

【「寒霞渓」 地図】

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この記事を書いた人

建築・不動産・旅のテーマが得意なライター。社寺系ゼネコンに勤務経験があり、四国八十八ヶ所霊場の札所建築物の改修工事に携わったことがあります。仏教に興味があり、2022年には四国のお遍路巡礼もしました。ライターとは別名義で作家として小説も書いています。