少し赤みがかかった古びた標石。
四国八十八ヶ所第39番延光寺をお参りして、次の第40番観自在寺に向かって歩くスタート地点に、中務茂兵衛さんの標石が残されています。

40番観自在寺へ続く道に残された標石

39番札所「延光寺」に関しては、以下リンクの記事もぜひご覧ください。

眼洗いの清水と亀が持ち帰った銅鐘【39番札所「延光寺(えんこうじ)」】

赤亀さんが竜宮城から梵鐘を背負って帰ってきた土佐の國最後の札所【39番札所「延光寺(えんこうじ)」】

 

中務茂兵衛さんメモ
明治から大正にかけて四国八十八ヶ所を繰り返し回られた方で、周防國大嶋郡椋野村(現山口県周防大島町)出身。
18歳の頃に周防大島を出奔、一度も故郷に戻ることなく四国を回る事 279回。バスや自家用車が普及している時代ではないので、徒歩での記録。 回った回数は歩き遍路では最多記録と名高く、また今後も上回ることはほぼ不可能な不滅の功績ともいわれる。
明治19年(1886)、自身42歳・88度目の巡拝の頃から標石の建立を始めた。標石は四国各地で確認されているだけで243基。札所の境内、遍路道沿いに多く残されている。

—– こちらの記事に登場する主な地名・単語
標石(しるべいし)
周防國大島郡椋野村(すおうこくおおしまぐんむくのむら)
伊豫國西宇和郡伊方村(いよのくににしうわぐんいかたむら)
宿毛(すくも)
松尾峠(まつおとうげ)
篠山(ささやま)
佐田岬半島(さだみさきはんとう)
出奔(しゅっぽん)

—– こちらの記事に登場する主な登場人物
中務茂兵衛義教(なかつかさもへえよしのり / 1845~1922) … ↑上記参照

 

次の札所への距離、施主の情報

< 西面 >次の札所と距離、施主の情報など

四十番是ヨリ七里
伊豫國西宇和郡伊方村●●
施主●●

こちらの標石は延光寺の駐車場の向かいにあり、歩き遍路では次の観自在寺への一歩を踏み出す地点に立っています。七里=約28kmですが、その間には宿毛市街地、旧予土國境の松尾峠、番外の篠山があります。
※松尾峠の様子は以下リンクの記事もぜひご覧ください。

土佐から伊予へ。国境の峠と境界石

高知県と愛媛県の県境「松尾峠」を越えて「菩提の道場」に突入【39番札所「延光寺」→40番札所「観自在寺」】

所々白化している事と草がやや高いため、地面に近い部分は判別が困難。ゆえに施主さんの情報が乏しいのですが、伊方村→現伊方町。日本一細長い佐田岬半島の付け根部分、四国で唯一の原子力発電所があります。

 

建立年

< 東面 >建立年

明治二十三年五月吉辰

明治23年=1890年、茂兵衛さん46歳、1866~1922の遍路人生の折り返し地点(中間)の少し前くらいに建立されたことがわかります。

 

巡拝回数から見るデータ分析

< 南面 >茂兵衛さんの巡拝回数

壱百十四度目為供養建立
周防國大嶋郡椋野村住
願主 中務茂兵衛義教

24年目 / 56年 …全体の巡拝年数
114度 / 279度 …全体の巡拝回数

どちらも中間手前になるので、計算が合います。

 

驚きべきは、

22歳→46歳 / 78歳

22歳で出奔して以来、ここまで24年間で114度。続く32年間で165度。

前者は 1年平均4.75回
後者は 1年平均5.15回

老いてこそ進化を遂げていることがわかります。もちろん自身の慣れや道路の良化等、時が進むと共に遍路環境の向上があったことが挙げられますが、データにしてみると改めて驚くべき功績を残されていることがわかります。

 

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野瀬 照山

八十八ヶ所案内人・先達であり、旅人をお迎えするゲストハウスそらうみを運営。 四国八十八ヶ所結願30回、うち歩き遍路12回。 四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「さぬき高松ゲストハウスそらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。