煉瓦建造物って 日本の近代化を感じることが出来る歴史の証人。四国遍路道でも所々でそれらを見ることができますが、75番札所善通寺から76番札所金倉寺に向かう歩き遍路道にあるレンガ工法は全国的に見ても珍しい貴重なものです。
—– こちらの記事に登場する読み方が難しい単語
土讃線(どさんせん)
伊豫鉄道(いよてつどう)
鉄道ガード下の遍路道
場所はJR土讃線 善通寺(左) ~ 金蔵寺(右)の間。
四国八十八ヶ所の遍路道としては 75番札所善通寺と76番札所金倉寺の間。
この区間の開通は明治22年5月(1889)。
四国内の鉄道としては 伊豫鉄道に次いで古く、現JR区間では四国初の路線。
頭上注意が示すように 地上高が低いため、身長によっては頭を打つので通行注意。
その点に注意しながら ここで必ずご覧頂きたいのが、レンガの積み方です。
フランドル積み
レンガの積み方をご覧下さい。
小口 長手 小口 長手…
となっています。
こちらは全く別の建造物ですが、よく見ると
小口
長手
小口
長手
・
・
・
と、上記の橋台と レンガの積み方が異なることがわかります。
前者の幅の異なる煉瓦を同列に積んでいく工法は "フランドル積み"
後者の幅が同じ煉瓦を同列に積んでいく工法は "イギリス積み"
重量物を支える資材は 明治期以降一般的に、
石 → レンガ → コンクリート
と変化していったが、その中のレンガ工法を先に日本に伝えたのはフランス。
産地からフランドル積みと呼ばれる工法だった。
しかし明治も20年以降となると、イギリス由来のレンガ積み工法が伝わり、そちらが主流となる。
理由としては、
① 個数が少なくても済む→コスト減
② 強度が強い
イギリス積みが主流となっていった理由は他にも様々あるものの、大正12年(1923)の関東大震災の発生により、特に②の事情からフランドル積みは衰退。
そのため個人の邸宅などを除き、大きな建造物や交通関係のもの等公共性が求められる建造物の多くでは用いられなくなった。
今日港湾などで見られる "赤煉瓦倉庫" 等は基本的にイギリス積みとなっている。
この場所がどうしてフランドル積みになったのか?
史料や情報が全く存在しないため、あくまで個人的な推測の域なのですが、
③ 建造年度が古く、イギリス積みが主流になる以前だった
④ 四国初の鉄道ということで予算が大きく取られていたため、経費の制約があまりなかった
この辺りの事情ではないかと推察します。
また、この場所にフランドル積み橋台が今も残る理由としては、
⑤ 震災など大きな災害を受けなかった
⑥ 列車の運行頻度が都会ほど多くないため、損傷が少ない
故きを温(たず)ねて新しきを知る
この橋台は遍路道中に直接関係無い物件ですが、稀少性は特筆。
歩き遍路でのみ通る場所に存在するものですが、是非ご覧頂きたい明治時代の鉄道黎明期を知る生き証人です。
【「JR土讃線 レンガ積みガード」 地図】