【撫養街道-自転車散歩7】土御門天皇火葬塚と塚の守り人

四国で没した天皇は歴史上二人おり、そのうちの一人である土御門天皇の火葬塚が鳴門の撫養街道沿いにあります。こんもりと緑が生い茂る土御門天皇火葬塚と天皇を祀る阿波神社、そこで起きた少し不思議な出会いのお話です。

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阿波神社と土御門天皇

撫養街道に阿波神社という天皇にまつわる神社があると知り、そちらに立ち寄ることにしました。四国に関係する天皇で知られているのは保元の乱で讃岐国に流された崇徳上皇ですが、実はもう一人、承久の乱の影響で四国に流れてきた土御門天皇(つちみかどてんのう)という天皇が存在します。承久の乱(1221年)で敗れた後鳥羽上皇の子息にあたる人物です。

承久の乱(wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/承久の乱

土御門天皇(wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/土御門天皇

実際には土御門天皇自身は承久の乱へは関与しておらず、当時の処罰の対象ではなかったようです。ただ、父である後鳥羽院が遠流であるのに自分が京にいるのは忍びないと自ら土佐國へ赴きました。その後、より都に近い阿波國に移り、1231年に37歳でこの地に没したそうです(没した場所、居住地については諸説あり)。

阿波神社 鳥居

静かな森にかこまれた阿波神社。

阿波神社鳥居横には土御門天皇を火葬した場所とされる火葬塚があります。阿波神社はその火葬塚に関係して建てられた神社です。

 

土御門天皇火葬塚での出会い

阿波神社の前に自転車を停めると、土御門天皇火葬塚前の敷石を掃除をしている女性が目に入ったので、少しお話しさせていただきました。

この女性は阿波神社の歴史に詳しく、元にあった社(丸山神社)を昭和天皇が阿波神社として整備したことや火葬塚は宮内庁の管理下にあること、土御門天皇の御稜は京都にあることなどを教えてくださいました。

阿波神社 土御門天皇火葬塚

土御門天皇火葬塚。塚の周りにはお堀があります。

土御門天皇についてのエピソードが次から次へと出てくるので、そのままお話をうかがっていると、この女性自身、土御門天皇に縁があるという話になりました。この女性のご先祖が、土御門天皇とともに都から流れてきた随身の一人だというのです。土御門天皇の崩御の際、随身であった先祖(当時17、8歳の若者だったといいます)が天皇をこの地でお守りすると約束し、そのままこの地に住み着いたのち、およそ800年もの間一族で火葬塚を守ってきたといいます。

「昭和天皇が新しい神社をおつくりになった時だけ少し管理料が出ましたけど、戦後にはそれもなくなりました」と語りつつ、今でも管理料とは関係なく掃除を続けている女性に、それはとてもご苦労なことですね、と伝えると「約束なのでね」とぽつり。

800年前の約束を今でも引き継ぎ、天皇の墓守りを続ける人々が存在することが現代の(というより私自身の)感覚に馴染まず、最初はうまく飲み込めないでいました。が、天皇の話を昨日のことのように淡々と語る女性を前にして、歴史や伝統の継承は個人や現代人の感覚で図ることではないのだと、こうした人たちの手によって守られる世界があるのだと、自らの理解を改める機会となりました。

女性との少し不思議な出会いを後にして、阿波神社へと足を進めました。

 

昭和天皇によって造営された阿波神社

阿波神社自体は昭和時代に建造された近年のものですが、それ以前にも地元の人によって建てられた社(やしろ)があったようです。

(略)人々は土御門天皇火葬塚の北に通称「天皇さん」と呼ぶ土御門天皇社を奉祀、阿波志には「土御門天皇廟 池谷村天皇山南麓に在り」とみえる。その後、明治8年(1875年)に丸山神社と改称(鳴門市史上)。

昭和15年(1940年)には紀元二千六百年記念行事として、社名を阿波神社に改め、火葬塚の北東に隣接する現在地に新たに社殿を造営した。県民挙げての奉賛と勤労祀仕によって昭和18年(1943年)に竣工し、本殿座祭を斎行、県社に列した。(Wikipediaより抜粋)

県をあげて大規模に造営した建物らしく、とても立派な造りの社となっています。

鳥居をくぐり緑に囲まれた砂利道を歩いていきます。

阿波神社 参道

鳥居をくぐってから少し歩きます。それほど距離を歩くわけではありませんが、すぐには社殿が見えないので神秘的に感じます。

阿波神社 隋神門

少し痛みがあるが、立派な隋神門。

阿波神社 拝殿

阿波神社拝殿。

この日は天気が悪かったこともありますが、社務所にも境内にも人の気配がなくひっそりと静かな印象でした。境内が広いことと、先の女性から「神社の本当の大元はこの火葬塚」と聞いていた影響もあって、よけいにガランとした印象を受けたように思います。

建物はとても堅牢なつくりで、四国唯一の官幣大社に内定していたほどの神社なので風格があります。明治〜昭和の神社建築や土御門天皇、人物顕彰神社に興味ある方にとっては、訪問しがいのある建物だと思います。

 

お遍路さんが数多く往来した江戸時代は、きっと火葬塚と素朴な社だけがこの地にあったのだろうなぁと、当時の景色を想像しながら神社を後にしました。阿波神社に来る人は阿波神社だけを参拝して火葬塚に気づかない人も多いそうなので、訪れた際には、ぜひ土御門天皇火葬塚と阿波神社、両方へのお参りをお勧めします。

 

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お遍路さん上陸の地である撫養港から一番札所まで、撫養街道を自転車でたどる「撫養街道-自転車散歩」の全行程は下記の記事にまとめてあります。ぜひご覧下さい。

撫養街道-自転車散歩まとめ

 

【「阿波神社」地図】

 

 

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この記事を書いた人

札幌で生まれ育ち、東京にて都市計画コンサルタントに従事。結婚を機に香川に移住し、地方自治体勤務などを経て現在に至る。お遍路文化を通じた新しい四国の楽しみ方を模索しています。日本酒とワインが好き。