日本一長い学校名って何文字あるのでしょうか。愛媛県と高知県の県境地域に日本一長い学校名の篠山小中学校があります。
篠山小中学校がある場所
四国八十八ヶ所霊場の番外霊場である篠山神社(ささやまじんじゃ)の麓の篠山へ向かう車道を国道56号から分岐してほどない地点に篠山小中学校があります。
※篠山神社に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
※篠山に向かう手前の篠山神社一の鳥居に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
日本一長い学校名を生んだ組合立という制度
高知県宿毛市愛媛県南宇和郡愛南町篠山小中学校組合立篠山中学校(こうちけんすくもしえひめけんみなみうわぐんあいなんちょうささやましょうがっこうくみあいりつささやまちゅうがっこう)
漢字:30文字、平仮名:56文字
↓昭和29年(1954)以前
高知県幡多郡宿毛町愛媛県南宇和郡一本松村篠山小中学校組合立篠山中学校(こうちけんはたぐんすくもちょうえひめけんみなみうわぐんいっぽんまつむらささやましょうがっこうくみあいりつささやまちゅうがっこう)
漢字:34文字、平仮名:62文字
※宿毛市←旧幡多郡宿毛町、愛南町←旧々一本松村
小学校だと最後の部分がそれに変わるだけで文字数は同じです。
新旧いずれにしろ、これは正確に言える人はいるのか?というレベルですね。
篠山小中学校のような「組合立(くみあいりつ)」を正式には「一部事務組合」と呼びます。行政サービスを行うにあたり複数にまたがる市町村、時には当校のように都道府県を越えて業務を行う場合に設置される行政機関の名称です。
主な機関としては消防、塵芥処理、火葬場、上下水道、小学校、公営競技(競馬・競輪・競艇・オートレース)などでみられ、例えば園田競馬場・姫路競馬場を主催する兵庫県競馬組合は「兵庫県・尼崎市・姫路市」の三者で運営される一部事務組合です。
小中学校が組合立になる背景には行政区が異なる二つの集落があったとして、それが小規模だと学校維持の負担が大きく、児童らにとっても児童数が少ないとスポーツを行う際にできなくなる種目が出くるなどの不都合が生じます。そこで二箇所以上の自治体で設立されるのが組合立の学校です。
とはいえ、その多くは同県内の市町村同士であって、組合立小中学校が県を越えて設立されるケースは稀です。長い学校名は県境をまたいで設立された珍しいケースにより誕生したものです。
明治8年(1875) この地に初めて教育機関が設立される
明治19年(1886) 正木簡易小学校となる(3年)
明治25年(1892) 正木尋常小学校となる(4年)
昭和5年(1930) 現在地に移転
昭和24年(1949) 愛媛県南宇和郡一本松村高知県幡多郡宿毛町組合立篠山小学校(篠山中学校)に改称
昭和37年(1962) 高知県宿毛市愛媛県南宇和郡一本松町篠山小中学校組合立篠山小学校(篠山中学校)に改称 ※現校名
義務教育が9年になったのは戦後の昭和22年(1947)の学制改革によるもので、それまでは現在の小学校に相当する年数が6年(尋常小学校)、中学校に相当する年数が2年(高等小学校)でした。また、戦前の中学校の呼称は現在の高等学校のことになります。
予土県境友好を願う県境の橋・愛媛県側
篠山小中学校へは愛媛県愛南町と高知県宿毛市それぞれから児童が通学しますが、高知県側からやってくる児童が渡る橋があります。
篠山小中学校へ通学する高知県宿毛市山北地区の児童らは、こちらの橋を渡ってやってきます。
【右岸南側】
篠南橋
篠南は「ささな」と読みます。宿毛市山北地区と愛南町正木地区を合わせた地域に相当します。
【右岸北側】
伊予なく土佐もなかりけ里
1963.3架設
1963年は昭和38年。同年同月、神奈川県の鴨宮モデル線で試験列車が世界初の時速256kmを達成しました。その列車とは翌年10月1日に世界初の高速鉄道として開業した東海道新幹線です。
篠山周辺では有史以来、土佐と伊予の國境争いが頻発していました。
篠山山頂はどちらのものか、篠山神社を運営するのはどちらか、それはふもとの篠南地域も例外ではなく、時代によっては愛媛県側を割譲したり、またはその逆であったりしました。
個人的な印象としては、騒動を起こした方に有利な裁定が下っていたように感じられます。その中で最大の騒動は篠山山頂の國境石の話になるのですが、そのような状態にあって下界が平穏なはずがありません。
※篠山山頂の國境石に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【高知/愛媛県境】天空の番外霊場「篠山神社」にある「土豫國境石」
近代になり篠南地区に学校が開かれることになります。前述の通り人口が少ない地域なので両県で個々に開校してはそもそも学校運営が困難な事情がありますが、ここで無理をおして篠川を挟んでそれぞれが学校を立ててしまっては、人間のことなので張り合いが起きて幼少の頃から県境争いの種が植え付けられてしまいます。なので学校が設立されたのは愛媛県側の正木地区ですが、開校当初から山北地区(高知県側)の子どもたちも同校区に入っていたようです。
篠山小中学校の組合設立は昭和時代の戦後のことなので、それ以前のことが公式か非公式か、人口希薄地域のような特例として認められていたのか、定かではありませんが、いずれにしろこちら篠南橋北側右岸の欄干に掲げられた文言に、当地では草の根交流が行われてきたことが見て取れます。
予土県境友好を願う県境の橋・高知県側
篠川の水は上流にある篠山に端を発し、日本一名前が長い小中学校の横を流れながら、宿毛市街地近いところで篠山の裏側から流れてくる松田川と合流して太平洋に注ぎます。
今度は橋の向こうに見えている景色は全て愛媛県のものになります。
【左岸北側】
さ々なはし
篠南と書いてささなんではなく「ささな」であることがわかります。
【左岸南側】
児等通い予土睦へ
私がこの場所を訪れたのは児童らの登校が完了している午前時間帯です。滞在中歩行者は誰一人出会うことはなかったのですが、住民の車や工事車両が橋を通行する場面がそこそこありました。
県境争いは過去のもので、橋に掲げられているように、この場所が両県地域が手を取り合って暮らす平和な地域であるよう願いたいと思います。
※篠山小中学校から篠山神社方面に進んだ先にある国指定有形文化財の蕨岡家住宅に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【愛媛県愛南町】代々篠山信仰を受け継いできた「戸立てずの庄屋」伝説
【「篠山小中学校」 地図】