霊山篠山への登山口に当たる愛媛県愛南町正木地区に「戸たてずの庄屋」という天狗伝説が伝わっています。当地で代々庄屋を務めてきた蕨岡家の住宅は、国の登録有形文化財にも指定されています。
蕨岡家
愛媛県愛南町正木地区に蕨岡家住宅がのこされています。蕨岡は「わらびおか」と読みます。蕨岡家は当地で代々庄屋を務めた一族で、篠山頂上にある篠山神社の神職を務めていたこともある家柄です。
※篠山神社に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
蕨岡家の初出は篠山権現の創始伝承に登場するほど古いもので、蕨岡家の庭の樟(くすのき)へ熊野権現が飛来して輝いたのを見て、その時の当主が篠山へ祀ったことに由来するようです。
その時代とは第31代用明天皇の時代といわれています。用明天皇といえば聖徳太子の父に当たる人物で、西暦に置き換えると6世紀後半です。蕨岡家がその時代から続いているとするならば、現当主は少なくとも第50代前後ということになります。今上天皇が第126代の天皇家には及びませんが、旧大名家の中で長い歴史を誇る島津氏の現当主は第32代島津修久氏になるので、伝説の通りであれば蕨岡家はそれよりも長く、世界有数の血脈を誇ることになります。
※一般的にいわれる一世代30年として計算しました。ちなみに「世」という字は一文字で「三十」という意味があります。
※「えひめの記憶」というサイトには、平成13年(2001)時点で第98代当主とありました。
戸立てずの庄屋
「戸立てず」とは「玄関が開いている」「出入り自由」のような意味合いでしょうか。すなわち泥棒入り放題になってしまう状態ですが、蕨岡家は歴代、泥棒に荒らされたということは無いといわれます。
昔々、篠山に天狗が棲んでいた。その天狗が里に下りて来ては悪戯を働くので、たまりかねた弓の名手が天狗の翼を射落としてそれを隠した。その弓の名手とは蕨岡家の当主・助之丞で、翼を失って困った天狗はもう悪戯をしないと誓い、庄屋の家を永代盗難から守るという約束をして翼を返してもらい山へ帰っていった。以来蕨岡家は戸を立てずとも盗賊が入ることは無かったそうです。
この伝説の地となった蕨岡家がある愛南町正木地区は現代でこそ静かな集落ですが、四国八十八ヶ所霊場の番外霊場や修験道の霊山信仰として篠山が賑わった明治時代以前は、様々な人々の往来があったことと考えられます。そのような時代にあっても盗難被害が伝わっていないことは、霊山篠山のご加護があってのことでしょうか。蕨岡家は篠山神社登山の拠点になる場所であり、お大師さまも立ち寄った伝説も残されていることから、大師のご利益が追加されて語られることもあります。
蕨岡家を訪れてみると、まず立派な長屋門が目に入り、そこは戸が閉められているので「戸閉まりじゃないか」と思ってしまうところですか、そちらは現代のやむを得ない事情があるようです。
長屋門の南隣にこちらの戸が無い門がありますが、代わりにそちらを「戸立てずの庄屋」の門として残してくださっているのかなあと感じました。
まんが日本昔話「天狗と庄屋さん」
戸立てずの庄屋のエピソードは「まんが日本昔話」でも放送されました。
No.164 天狗と庄屋さん
放送日:昭和52年(1977)9月24日
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=164&cid=48
まんが日本昔話は全国各地に伝わる伝説や逸話を独特のタッチで描いた人気テレビ番組ですが、こちらのサイトでは伝説の出自を都道府県ごとに検索することができます。
そこで興味深いのが、戸立てずの庄屋の話が高知県の昔話として分類されている点です。その経緯には諸説諸事情あることと思いますが、都道府県の概念は明治時代以降に出来たものですので、昔話といえば多くが明治時代以前のものになり、都道府県に置き換えると歪が発生するケースがあるのではないでしょうか。篠山周辺のような県境(國境)地域は特にそのような事情に当てはまると思います。
当地の場合は、境界争いで領地交換のようなことが何度か行われているので、高知県の昔話として記録されていても不思議ではないと思います。
※蕨岡家住宅のすぐ近くにある歓喜光寺に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【「蕨岡別家住宅」 地図】