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讃王は、日本書紀では日本武尊の子の武殻王であると記されています。日本武尊が祀られた聖地は、関東以北では、太陽との関わり、とくに二至を指すケースが多いのですが、この讃王を祀った聖地にも同様の傾向が見られます。

 

讃留霊王と悪魚退治伝説

讃王は、文字通り讃岐の王という意味で、別名を讃留霊王(さるれおう)と呼びます。古事記には武貝児王、日本書紀では日本武尊の子の武殻王であると記されています。

讃王に関する伝説は以下のようなものです。
「第12代景行天皇の頃、土佐の海に大魚が現れ、船や人を飲み込み、暴れていた。天皇は息子の日本武尊にその悪魚の退治を命じたが、日本武尊は自分の息子の武殻王を推薦する。武殻王はさっそく土佐に向かうが、大魚は阿波の鳴門から讃岐沖に移って、そこで暴れていた。武殻王は讃岐国綾歌郡綾川の上に陣を敷いて、80人余の兵を軍船乗せて退治に向かった。しかし、武殻王は兵とともに大魚に呑まれ、その毒気に当てられてしまう。武殻王は大魚の腹の中で火を焚き、その腹を切り裂いて脱出する。だが、毒気にあてられた兵たちは瀕死の状態で、そこへ白峰の方から雲に乗った童子が現れ、手に持った壺から兵たちに水を与えると、たちまち蘇生した。童子は横潮大明神で、兵80人を救った水は、それにちなんで八十場の清水と名付けられた。大魚の死骸が流れ着いた場所には魚御堂が建てられて供養された。その周辺には、大魚の臓物があった腹江=福江、尾が海まで続いた江尻といった地名がつけられている」

武殻王はこの悪魚退治の功績が買われ、讃岐の土地を与えられ、城山に館を構えました。そして、讃岐に留まる霊王という意味の「讃留霊王」と呼ばれるようになったとされます。また、その末裔は後にこの周辺を治めた讃岐綾氏とされます。

 

日本武尊の聖地と讃留霊王神社

悪魚退治に向かったものの、これに飲み込まれ、毒気に当てられたというくだりは、日本武尊が伊吹山にこの山の主である大猪退治に向かったものの、その毒気によって瀕死となり、そのまま絶命したとされる伝説に類似しています。讃王は、無事に生還し、悪魚を退治したというところは違いますが。

日本武尊は、機略を持って熊襲を退治したという伝説がありますが、熊襲征伐に向かう前に東国を平定するために赴いたとされます。そのため、関東から信州、東海一帯に多く伝説が残っています。その中で、軽井沢の北西の碓氷峠を越えたという話がありますが、碓氷峠とその麓の軽井沢は二至のラインにあって、軽井沢川から碓氷峠を見ると、夏至の太陽が昇ってくる形になります。

また、碓氷峠を越えてた戦いの疲れを癒やすために湯治したとされる現在の長野県上田市の別所温泉もまた、夏至の日の出とそれが指すラインに並ぶ聖地の一つになっています。他にも、同様の場所が何か所もあり、日本武尊が太陽信仰の象徴でもあることをうかがわせます。

丸亀市には讃王の墓と伝えられる古墳があり、これをご神体として讃留霊王神社が鎮座しています。

讃留霊王神社でまず目につくのは、社伝の背後にある大きな前方後円墳です。ここは讃王の墓と伝えられ、古墳はまっすぐ北を指しています。そして、ここから北へ伸びる参道の先には、讃岐の象徴である讃岐富士=飯野山が聳えています。

その光景は、まるで飯野山を墓標に見立てているようです。北に飯野山があり、その上には宇宙の中心である北極星が輝いているわけで、これは、讃王が天帝の化身としてこの地を治めるということを物語っているようです。

また、日本武尊の聖地同様に、明らかに二至を意識していることがうかがえます。それは、ここから冬至の日没方向がぴったり大日峠に一致することです。大日峠に冬至の日没を拝する形になっているのは、善通寺市の王墓山古墳も同じで、同様の前方後円墳で、規模も似ていますから、両者に共通の祭祀習慣があったのかもしれません。

いずれにせよ、讃留霊王神社の立地は、北に飯野山という聖山があり、冬至の日没が大日峠に沈む光景が見られる場所という基準で選ばれたのでしょう。

讃留霊王神社 社殿

讃留霊王神社の社殿は夏至の日の出方向に面する。

讃留霊王神社 古墳

本殿背後にある古墳。ここが讃王の墓だと伝えられている。

讃留霊王神社 古墳 参道

前方後円墳は北をまっすぐ向いている。

讃留霊王神社 古墳 飯野山

参道は北方向の飯野山をランドマークにして、その肩の方向に真っ直ぐ伸びている。

讃留霊王神社 冬至日の入

讃留霊王神社から見た冬至の日の入りのシミュレーション。方位角240度、ぴったり大日峠方向に沈む。

讃留霊王神社 レイライン

地図で確かめると、讃留霊王神社=古墳の立地は、飯野山と大日峠を基準にしているのがわかる。

 

【「讃留霊王神社」 地図】

 

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内田一成

聖地と呼ばれる場所に秘められた意味と意図を探求する聖地研究家。アウトドア、モータースポーツのライターでもあり、ディープなフィールドワークとデジタル機器を活用した調査を真骨頂とする。自治体の観光資源として聖地を活用する 「聖地観光研究所--レイラインプロジェクト(http://www.ley-line.net/)」を主催する。