愛知県阿久比町の知多四国霊場15番札所洞雲院から16番札所平泉寺に向かうお遍路道中に、徳川家康の母「於大の方」ゆかりの「坂部城跡」があります。洞雲院で授与されている坂部城の御城印や於大の方関連の特別御朱印にも注目です。
坂部城の城下町の「城街道」
愛知県知多半島の中央部にあたる阿久比町の坂部(さかべ)地区にある、知多四国霊場15番札所洞雲院(とううんいん)から16番札所平泉寺(へいせんじ)に向かうお遍路道は、「城街道(しろかいどう)」と呼ばれる区間を通ります。
城街道は、かつて存在した「坂部城」が名前の由来になっていて、織田信長や徳川家康といった有名な武将も通ったことがあると伝わっています。このエリアはかつての城下町で、城街道沿いには昔は武家屋敷が立ち並びたいへん賑わっていたそうです。
坂部城は、徳川家康の母として知られる「於大の方(おだいのかた)」が再婚して入城し晩年を過ごした場所で、NHK大河ドラマ「どうする家康」でもクローズアップされたことで、注目度が上がっており、多くの歴史好きの人、観光客が訪れるようになっています。
お遍路道中に立ち寄り、歴史浪漫を感じられるスポットなので、遍路道の道順などを含め、ご紹介しようと思います。
※於大の方の詳細情報やゆかりの場所に関して、以下リンクの記事でもご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【知多四国霊場8番札所傳宗院→9番札所明徳寺】徳川家康の母「於大の方」ゆかりの遍路道
徳川家康の母「於大の方」ゆかりの「坂部城」
15番札所洞雲院を出発すると、まずはまっすぐ東に進みます。
約220m、徒歩で2分程度のすぐのところに交差点がありますので、「坂部城跡」には南西方向に分岐します。
坂部城は、戦国時代にこの地を治めていた久松家の居城でした。
徳川家康の生母である於大の方が、まだ竹千代(のちの徳川家康)が幼かったときに離縁となり、当時の久松家の当主であった久松俊勝(ひさまつとしかつ)と再婚し、入城しました。離縁のあとも於大の方と徳川家康の母子の絆はつながり続け、のちにここ坂部城で感動の再開を果たしたというエピソードが残っています。
戦国の混乱に巻き込まれ天正5年(1577年)に織田信長の家臣によって落城してしまいますが、現在でも土塁の痕跡など城の名残を見ることができます。
坂部城のプレミアム御城印と於大の方関連特別御朱印
また、坂部城跡では「御城印」が発行されていて、お城ファンや大河ドラマファン、御朱印集め好きの人に人気になっています。阿久比町役場や周辺店舗、15番札所洞雲院などで購入することができます。
16番札所平泉寺への城街道の道のり
坂部城を出てからは分岐してきた交差点に戻り、再びお遍路道を16番札所平泉寺方面に向かいます。
城街道を約2kmほど進めば16番札所平泉寺に到着です。
15番札所洞雲院から16番札所平泉寺までの全行程は、約2.5kmで、まっすぐ歩いていけば40分ほどの道のりです。洞雲院・坂部城跡周辺と平泉寺周辺の歩き遍路道は昔の道ですので少しわかりづらいところがありますが、城街道は一本道なので迷うことはないでしょう。ただし、車の交通量は多いので交差点などでは十分に注意して歩まれてください。
知多四国霊場15番札所洞雲院から16番札所平泉寺までお遍路道中は、徳川家康の母である於大の方ゆかりの歴史散策をあわせれば、より楽しみが増えると思います。洞雲院で授与されている坂部城の御城印や於大の方に関連する特別御朱印もぜひチェックしてみてください。