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四国八十八ヶ所第83番・一宮寺の境内には、地獄の釜と繋がっているといわれる祠が存在します。

—– こちらの記事に登場する主な地名・単語
(ほこら)
手水舎(ちょうずしゃ)
薬壺(やっこ)
宝永(ほうえい /1704-1711)
丙戌(ひのえいぬ)

 

石の祠に祀られている仏さま

83番札所「一宮寺」の手水舎の隣にある石の祠、その前には “薬師如来” と記されています。
祠を覗くと一見お地蔵さまが祀られているように見えますが、手に(たま)を持っていることが特徴。薬壺といって、中には薬が入っています。それを手を合わせる参拝者にわけてくださるので、諸病にご利益あり、というわけです。

それはさておき、

 

地獄の釜と繋がっている…?

昔からこの石の祠は地獄の釜と繋がっているといわれていて、覗き込むと 「ゴオー」っと釜が煮える音がします。
それを聞いた近在の 「おタネ」 というおばあさん。そんなことあるわけない、と疑って 釜に首を入れました。すると石の扉が閉まり、首が抜けなくなってしまいました。

そこで現れたのが閻魔大王。
村では “いじわるばあさん” として敬遠されていたおタネさん。その罪状を閻魔さまが問いただします。釜の下では地獄のマグマがぐつぐつと音を立てておタネさんを炙ります。

ついにおタネさんは怖くなり、「ごめんなさいー!」とこれまでの意地悪を反省します。
すると石の扉は開き、出て来たおタネさんはすっかり改心していて、それからは村人たちと仲良く暮らしました。

このように、業が深い人間が祠を覗くと扉が閉まって首が抜けなくなる、となる一方で、善人にはそのような戒めはなく、祀られている薬師如来さまのご利益を授かって、病気が治る。とりわけ 首を入れることから “首から上の病” に良く効くとされます。

 

祠が出来た年代

祠の東面には、建立された年月が刻まれています。

宝永三丙戌
薬師如来
五月八日

宝永三年は、西暦1706年。
前年(宝永二年)には霧島連山や桜島、当年には浅間山の噴火。翌年(宝永四年)には宝永の大地震・大津波。その後の富士山の大噴火。
このように自然災害、とりわけ火山の噴火が多かった年。富士山はこの時の噴火で山の南東部に宝永山と呼ばれる山が出現。江戸でも降灰が記録されました。富士山はこの噴火を最後に今までの約310年間平穏を保っています。

宝永年間、讃岐國(香川県)では大きな災害が発生した記録はありません。
この石の祠は、流行りの疫病が鎮まるのを祈願するためや、様々な厄除けを願うために建立され、いつからか人々への教訓話と結びつき、現代に伝わったものでしょう。

 

「地獄の釜のおはなし」に関しては、以下の動画もぜひご覧ください。

 

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野瀬 照山

八十八ヶ所案内人・先達であり、旅人をお迎えするゲストハウスそらうみを運営。 四国八十八ヶ所結願30回、うち歩き遍路12回。 四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「さぬき高松ゲストハウスそらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。