【屋島登山鉄道・屋島山上駅】時間が止まったままたたずむ昭和モダンの名建築

営業最終日に送電トラブルが発生、辨慶(号)の立往生になってしまった屋島登山鉄道(屋島ケーブル)。別ルートから屋島山上へ行き、文化財に指定されている屋島山上駅周辺の散策を行いました。

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屋島ケーブル 車両

登山口駅に留め置かれている屋島ケーブルの「辨慶号(上)」「義経号(下)」

 

屋島山上駅があった位置

屋島観光案内地図 南嶺拡大

南北に広がる屋島山上の遊歩道

84番札所屋島寺(やしまじ)や新屋島水族館、獅子の霊巌(ししのれいがん)など、一般的な屋島観光で訪れる場所は屋島全体のほぼ中央部。ケーブルカーの屋島山上駅があったのは屋島南嶺の先端近く。右側の拡大図には収まっていませんし、左側の屋島全体図からすると左上に突き出た部分。寺へ行くにも景色を眺めるにも山坂は無かったにしろケーブル山上駅からが遠過ぎました。対して昭和36年(1961)4月に開通した屋島ドライブウエイの山上駐車場は屋島寺のすぐ横に整備されました。

屋島ドライブウエイ…630円(乗用車往復+山上駐車場)・屋島寺へ徒歩1分以内
屋島ケーブルカー…700円(片道)・屋島寺へ徒歩10分

これではケーブルカーを運営していくにはちょっと無理があるように思います。逆によく21世紀まで走らせれたなあと感じます。

※屋島ケーブルの起点になっていた琴電屋島駅と屋島登山口駅に関しては、以下リンクの記事でご紹介しています。

【琴電屋島駅】かつて屋島観光の起点となっていた近代化産業遺産の駅舎

【屋島登山鉄道・屋島登山口駅】昭和の平家物語と弁慶の立往生

 

近代化産業遺産・屋島山上駅

屋島ケーブル 屋島山上駅跡

旧屋島登山鉄道屋島山上駅(香川県高松市)

経済産業省による近代化産業遺産「20.社寺参詣や温泉観光・海水浴に端を発する大衆観光旅行の歩みを物語る近代化産業遺産群」に認定されている屋島山上駅。

屋島ケーブル 屋島山上駅跡 近景

役目を終えた館は徐々に装いが黒くなっていっている印象

建設された時代は昭和初期。モダニズムを強く意識したデザインは当時の地方都市では類を見ないような先進的な造り。屋島という観光地にかける意気込みが伝わってきます。
左の突き出た壁の中央に紋章のような模様が残されています。一見鉄道会社の社章のように見えますが、こちらは駅名標を取り付けていた金具跡。

屋島ケーブル 屋島山上駅跡 経年劣化

コンクリートの石灰成分が溶けだしてつららが形成されているのが、放置され年月が経っている証

廃止から十数年が経ち、主がいなくなった駅舎は朽ちる一方。近代化産業遺産の規定がよくわからないのですが、認定物件が荒れ果ててもよいものなんでしょうか?
かといって補修したところで使い道のない建物。世間のお許しが出ないでしょうね。現状は風化していくのを待つだけの状態ですが、山上の隅っこにあり通行人に危険が及ばないこともあってか解体を免れていることは幸いでしょうか。

 

山上駅のプラットホーム

屋島ケーブル 軌道 トンネル

軌道上にトンネルが存在するのが屋島ケーブルの特徴だった

山上駅は建物の大部分が立入禁止となっているため細かい部分まで写真を撮って回ることができませんが、屋島ケーブルの特徴の一つであった山上駅先にあるトンネルが見えています。

屋島ケーブル 軌道 トンネル 雑木

トンネルの先、軌道中央に生えた樹木が仁王立ち

レール中央に設けられた溝は水はけが良く、鋼索線が敷設されていた斜面が南向きで陽当たりが良いことも木にとっては好環境。日に日に侵食は進むものと思われます。

高松市の屋島再生計画の中にケーブルカー跡を遊歩道として整備する案があるようですが、軌道跡の草刈りはともかくトンネルや建物部分の耐震補強など課題は山積しており、遊歩道化への道のりは非常に険しいものがありそうです。

 

仮名遣いについて考察

屋島ケーブル屋島山上駅跡 駅名標

駅名の振り仮名に日本語文法の歴史あり

下山側のプラットホームに運行当時の駅名標が掲げられていました。駅名の書きは「やしまさんじよう」読みは「YASHIMA SANJO」。この点を少し掘り下げてみたいと思います。

「ゃ」「ゅ」「ょ」を拗音(ようおん)。「っ」を促音(そくおん)と呼びます。戦前は読みが「やしまさんじょう」であっても書き取りの際は「やしまさんじよう」と書くことが通例でした。戦争が終わった昭和21年に「新かなづかい」が制定されるにあたり、拗音・促音を用いる際は読みと書きが同じになるようなるべく右下に小さく書くと定められます。あくまでなるべくなので拗音・促音を大文字で記しても間違いではありません。昭和61年に行われた改定でもなるべくと定められました。
法令上拗音・促音を小文字で書くことが定められたのは昭和63年7月。昭和64年1月の通常国会から拗音・促音を小文字で記すことが公式決定されました。昭和64年は結果的に1週間しかなかったので、実質平成時代から「ゃ」「ゅ」「ょ」「っ」を用いることが公式表記になったと言えます。

しかしながらそれまで存在した固有名詞の改名は任意だったため、例えば光学機器メーカー「キヤノン」。印章メーカー「シヤチハタ」は、縁起や文字バランス等を理由として公式表記に大文字を採用し続けています。それぞれ読みは「きゃのん」「しゃちはた」です。昭和末期から平成初期にかけて活躍した競走馬オグリキャップは当初「オグリキヤツプ」と登録されていました。

屋島ケーブルは昭和25年(1950)4月の営業再開に際して「屋島南嶺駅」の駅名が改められ「屋島山上駅」になりましたが、この時掲げられた書き取りが「やしまさんじよう」。ちなみに後年開通した屋島ドライブウエイも「エ」は大文字です。屋島関連の拗音・促音表記に大文字が採用された理由はよく分からないところですが、単純にそれまで用いられた仮名遣いの通りに表記したか、当時の考えで小文字が入っていることが嫌われてこのような表記になったのか。真相は分かりませんがあまり深い意味はなさそうです。

ちなみに平成29年(2017)7月に無料化された屋島へのアクセス道路は屋島ドライブウエイ改め「屋島スカイウェイ」です。現在は公共物の名称を新しく命名する際、基本的には拗音・促音に大文字を使用することができないようです。

 

過渡期を迎えた屋島観光

屋島観光 イイダコおでん看板

屋島の名物グルメ「イイダコおでん」

ケーブルカーの駅前や展望台はもちろん、多客時には遊歩道沿いにも露店・土産店が出店。そこには串に刺したイイダコのおでんが並び、それを頬張りビールや地酒を飲みながら瀬戸内海の風景を楽しむのが屋島観光の楽しみの一つでした。また屋島山上駅から屋島寺や獅子の霊巌へは距離があるため、山上駅付近では自転車の有料貸出が行われていました。

ケーブルカーが廃止になったことにより人の流れは大きく変わりました。それによって廃業したホテル等がそのままになっている場所がある等、華々しい観光地に影を落とす結果になっています。レジャーの多様化や時代の流れといえばやむを得ないところですが、山上からの景観など屋島にはここ独自の魅力がたくさん秘められています。何か新しいスタイルを確立して屋島が再び輝きを取り戻すことができるよう、これからも記事での紹介や先達案内を通じて屋島の魅力を伝えていきたいと思います。

 

【「屋島山上駅跡」 地図】

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この記事を書いた人

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。