かつて屋島山上へ向かう交通手段として、多くの観光客を運んだ屋島登山鉄道(屋島ケーブル)。平成16年(2004)に廃止になって久しいところですが、運行されていた車両は現在も登山口駅に留め置かれています。
琴電屋島駅から屋島ケーブルへ
高松琴平電気鉄道(以下、琴電/ことでん)の志度線・琴電屋島駅を下りたところ。真ん前にある山が第84番札所屋島寺(やしまじ)がある屋島です。
※琴電屋島駅に関しては、以下リンクの記事でご紹介しています。
【琴電屋島駅】かつて屋島観光の起点となっていた近代化産業遺産の駅舎
駅は山の南側にあり、この眺めは北の方角になります。屋島の名前の由来は山が大きな屋根の形に似ていることによるものですが、この方角に限ってはそれほど屋根という感じではありません。山を東西どちらかから見た時に、多くの方々が想像する広い屋根のように見えます。
駅から延びる広い道の先に、屋島に縦の筋が入っている部分が見えますが、こちらがかつて多くの観光客を屋島山上へ運んでいたケーブルカーの軌道跡です。
屋島ケーブルとの乗換駅として賑わったのが琴電屋島駅ですが開業時の屋島駅はもう少し西側、地図内の陸上競技場の北西角(左上)付近にあったようです。歩き遍路時を含め屋島に歩いて上がる際はこの地図では濃い灰色で描かれている道を通行するので、当初の駅設置はその点を考慮したものと思われます。ケーブルカーの開業に伴って現在地に移転しました。
屋島へ歩いて登ることを目的にことでんで訪れる場合は琴電屋島駅ではなく、一つ隣の潟元駅(かたもとえき)で下車する方が登山道へ近いです。シャトルバスで屋島へ向かう場合は琴電屋島駅で下車されてください。
なお反対側の隣駅である古高松駅(ふるたかまつえき)も開業時は異なる場所にありました。この界隈は移転や廃止と変更が多いエリアだったわけですが、それもこれも屋島を訪れる観光客の利便性を考えて試行錯誤を繰り返したからでしょうか。それが功を奏してか昭和30年代には国内のケーブルカーで最多の乗降客数を誇ったこともありました。
現在の屋島登山口駅周辺
かつて屋島ケーブルの屋島登山口駅があった場所にやってきました。琴電屋島駅から歩いて5分くらいです。市街地を見下ろす感じから、この時点でなかなかの高さまで登ってきていることがわかります。往時の琴電・屋島ケーブルの乗換は徒歩連絡でしたが、夏場などはこの時点で汗だくだったのではないでしょうか。
駅舎は平成26年(2014)頃に解体され、その跡地に地元自治会の新馬場会堂が建てられました。
駅舎こそなくなりましたが、その自治会館の後ろに今もケーブルカーとプラットホームが残されています。
屋島登山鉄道の歴史
昭和4年(1929)4月…屋島登山鉄道開業
昭和19年(1944)2月…不要不急線として休止。資材を供出
昭和25年(1950)4月…営業再開
平成16年(2004)10月16日…営業休止
平成17年(2005)8月31日…廃止
屋島観光の足として戦前に開通した屋島ケーブル。開業後の昭和9年(1934)には屋島が日本で初めての国立公園「瀬戸内海国立公園」を構成する景勝地に指定され観光客が増加。一躍有名観光地になりますが、戦争激化により運行停止を余儀なくされます。このタイミングでは隣の五剣山にある第85番八栗寺(やくりじ)への足「◯八栗登山鉄道(八栗登山口-八栗山上)」「◯琴電志度線の末端区間(八栗-琴電志度)」「×琴平電鉄塩江線(仏生山-塩江)」「×琴平急行電鉄(坂出-琴急琴平)」、それに「▲屋島登山鉄道(屋島神社前-屋島南嶺)」と、香川県内でいくつもの鉄道が不要不急線に指定され休止を余儀なくされています。
香川県の鉄道はこんぴらさんを始めとする観光輸送を目的として設立されたものが多かったことやそれを競うように敷設が行われたことから、観光寄りの路線や国鉄と競合している区間がこれを機に一気に整理されたものと思われます。不要不急線に指定された路線のレールや構造物は取り外され、戦地などへ送られました。
◯…戦後復活して現存、▲…戦後復活したけれど廃止された、×…復活しなかった
屋島ケーブルは戦後わずか5年で再開にこぎつけました。同時期に廃止された八栗ケーブルの再開が昭和39年(1964)12月で20年かかっていることを考えると、潜在的ニーズの大きさをうかがい知ることができます。八栗の場合はお遍路さんや初詣、商売繁盛祈願などが主な利用者層。屋島はお遍路さんに加えて観光という一般人向けの要素がありました。
関連記事
【箸蔵山ロープウェイ】山寺である箸蔵寺へ向かう交通機関の変遷
勾配を表す単位
屋島ケーブルの平均勾配は約324‰(最急447‰、最緩202‰)。‰は「パーミル」と読みます。鉄道などで坂の緩急を表す単位で、距離1,000mで高さ何m上がるかを表します。屋島ケーブルの勾配は一定ではないので急なところがあればそれより緩いところもありますが、平均すると1,000m進むにつれ高さが324m上がる勾配になります。屋島ケーブルの営業距離は0.8kmなので「324m(平均勾配)×0.8km(営業距離)≒260m(実際上がる高さ)」。屋島南嶺の最高地点は292mなのでだいたい計算が合います。
324‰は100m(距離)に直すと32.5m(高さ)上がることになります。10mだと3.25m。1mだと0.325m(約32cm)。プラットホームの幅(距離)が二枚で1mくらいなので、こちらも計算に合います。ケーブルカーの車体は斜面に合わせて斜めに作られていますが、目に見える範囲でもこれだけ高低差があるため、仮に通常の列車のような座席だとすると登りは後ろにひっくり返るでしょうし、下りは前に転げ落ちてしまいます。
電力事業者が鉄道を運営する流行
屋島ケーブルが開業した時代のことでん志度線の会社名「四国水力電気」は、現在の四国電力の前身となった一社。屋島登山鉄道の発起人たちに四国水力の方が関与しているかどうかは資料が乏しくわからないのですが、電気の融通を受けなければケーブルカーは動かせないので少なからず関わっているものと想像します。
明治以降、全国各地に電気事業者が誕生しますが、その時代は会社にしても各家庭にしてもそれほど家電製品が普及しておらず、電気を作ったとしても購入してくれるアテがそれほどあったわけではありません。そこで電力会社が乗り出したのが電鉄事業。それを取り込むと大口で安定した電力販売が見込めるため、戦前の鉄道事業者は母体が電力会社だった例がいくつもあります。日本初の電車(電気で動く鉄道)は琵琶湖疎水の水力が用いられた「京都電気鉄道」でした。公共交通機関を運営している佳き企業イメージ獲得といった理由もあります。
弁慶の立往生
屋島登山鉄道は平成16年(2004)10月15日をもって運休になる旨が告知され、その運行最終日には大勢の乗車希望客が集まりました。しかしながら試運転時に電気系統のトラブルが発生。両車両とも上下駅を出たところで動くことができなくなり終日運休。翌日代替運転が行われることもなくそのまま休止→廃止になります。
屋島ケーブルはそれぞれの車両に「義経号」「辨慶号」の愛称が付けられていましたが、故障により動けなくなった辨慶号の出来事は新聞の見出し等で「弁慶の立往生(べんけいのたちおうじょう)」と紹介されました。
衣川の戦い(ころもがわのたたかい/1189年)において、武蔵坊弁慶は主君である源義経を敵から守るために義経が匿われている館の前に立ち、その大きな身体の全身に矢を受け立ったまま息を引き取ったとされます。現在は冬の雪道などで車の列が動けなくなることを「立往生」と報道されますが、語源はその出来事に由来します。
関連記事
そらうみ旅犬ものがたり「雪に覆われた兵共が夢の跡<高館義経堂/岩手県平泉町>」
→http://soraumi-doggie.com/takadachigikeido-iwate/
残されているプラットホームにはケーブルカーが二両繋がれています。屋島ケーブルの各車両は運行休止にあたり上下の駅に留置されました。そのうち「辨慶号」は山上駅に繋がれたままになっていましたが、災害が発生した際に留め具が外れて滑落する危険が懸念されたことから、平成25年(2013)1月に引き下ろされ二両とも屋島登山口駅に繋がれることになり、現在に至ります。
ケーブルカーの軌道跡
僅かな記憶では東側が乗車、西側が降車だったように思いますが、そこは記憶が曖昧です。
こちら側へ来ると鋼索線の軌道跡を確認することができます。もちろん電気の供給はストップしているのでしょうが架線は張られたまま。廃線後に略奪に遭っていない点が特筆されます。
レール下中央部の窪みは排水用に設けられた溝だと思いますが、使われなくなったため土砂が流れ込みそれがプランタのようになり、すっかり樹木が繁茂してしまっています。
屋島ケーブルは平成16年(2004)に休止されてから事業継続に向けて譲渡先の模索等が行われましたが、設備の老朽化などにより引き取り手は現れませんでした。高松市の答弁では、将来的には軌道跡を遊歩道として整備することについて言及されているものの、ケーブルカーの復活については触れられていません。屋島は平家が本陣を構えたことにより源平合戦の地となりましたが、その平家と同じ盛者必衰(じょうしゃひっすい)の道をたどったのは偶然とはいえ皮肉な結末となりました。
屋島登山口駅跡はフェンス等が設けられておらず立入禁止の掲示もありません。しかしながら建物の老朽化等により見学の際は危険が伴います。地権者の有無も分かりません。立ち入りに関しては自己判断をお願いいたします。
※屋島ケーブルの山上側の駅である屋島山上駅に関しては、以下リンクの記事でご紹介しています。
【屋島登山鉄道・屋島山上駅】時間が止まったままたたずむ昭和モダンの名建築
【「屋島登山口駅跡」 地図】