徳島県徳島市の中心市街地に位置する「徳島中央公園」は、徳島城跡に整備された巨大な総合公園で、国の史跡・名勝・重要文化財の指定、都市公園100選と歴史公園100選の両方に選定される、地元住民の憩いの場、かつ、観光名所です。
徳島城跡に整備された巨大な総合公園「徳島中央公園」
徳島県徳島市中央部の助任川(すけとうがわ)と寺島川(てらしまがわ)のデルタ地帯に標高61mの城山(しろやま)があります。その地に築かれた徳島城は、江戸期を通して蜂須賀家25万石の居城でした。石垣には、徳島市のシンボルである眉山(びざん)の青石 (結晶片石)が使われ、 この城特有の味わいを醸し出しています。
※徳島城とその石垣については、以下リンクの記事で詳しくご紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。
【徳島城】徳島藩随一の城郭はブルーグリーンの石垣に当時の面影をのこす
明治時代の廃城令により、各地の城と同様、この城の建物も鷲の門を除いてすべてが取り壊されました。明治38年(1905年)に徳島市はこの城址を蜂須賀家から買い取り、日露戦争戦勝記念として公園建設を開始し、翌年の明治39年(1906年)に徳島公園を開設しました。
設計を担当したのは、日本初の近代的洋風公園である日比谷公園も設計した本多静六(ほんだせいろく)と助手の本郷高徳(ほんごうたかのり)であり、徳島公園は日本で2番目に完成した近代的西洋公園です。時代は下り、昭和52年(1977年)に徳島公園は呼称変更され、徳島中央公園となりました。
広大な敷地に多様な施設や観光スポットが点在
徳島中央公園は、城跡公園としての価値だけではなく、江戸時代の遺産を活かしながらの現代的な公園としての見どころもたくさんあり、その美観や市中心部にある立地、広大な敷地面積から、総合公園として、地元民や観光客に高い評価を受けています。
現在は200,262㎡の広大な敷地内に、徳島城跡、徳島城博物館、スポーツ施設などが点在し、バラ園や流れ池などの観賞スポットもあります。明治の廃城令による取り壊しを逃れた鷺の門は、昭和20年(1945年)の徳島大空襲で焼失しましたが、平成元年(1989年)に市制100周年を記念して復元されています。
かつて徳島城が平山城として存在した城山では、徳島市指定天然記念物である城山原生林などの自然に触れることができます。4方向からの登山道ルートがあり、本丸跡がある山頂まで登ることができます。
城山西側には徳島県立中央武道館・徳島市立体育館・徳島市民庭球場などのスポーツ施設が充実しています。隣接する小学校とのあいだには、幼児や子ども用の遊具施設が置かれたエリアもあります。
城山東側は堀川上流の水際公園と小規模な庭園になっています。
城山南側は昔の本丸・本城であり、徳島城博物館、旧徳島城表御殿庭園、鷲の門など主要な観光歴史的・文化的資源を有する施設があるほか、広場や城郭遺構も多く残り、平成時代に入ってからは、鷲の門の復元建築や数寄屋橋の木橋化なども進められました。
※旧徳島城表御殿庭園について、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【旧徳島城表御殿庭園】「阿波の青石」と「潮入りの庭」が特徴の豪華絢爛回遊式庭園
都市公園100選と歴史公園100選の両方に選定
公園にはいろいろな分類があり、そのうちのひとつの「都市公園」は、都市住民が休息・散策・観賞・遊び・運動などのレクリエーションを行う場であるとともに、都市化・工業化の進展に伴い、都市景観の形成、都市環境の改善、都市防災の役割、生物多様性の確保など多様な機能をもつ公園で、生活圏とレクリエーション圏に配慮し、身近にいる人々が利用する公園と、観光客などの広域圏にいる人々が利用する公園にわけ、役割に応じて標準規模や誘致距離を定めています。
また、「歴史公園」とは、文化遺産や史跡の保護維持と歴史継承を目的として設置される公園です。特に優れた歴史的・文化的資源を有し、地域の活性化に貢献している歴史公園を選定しているのが歴史公園100選という制度もあります。
徳島中央公園は、都市公園100選と歴史公園100選のどちらにも選定されており、両方に選ばれることはたいへん珍しいです。
一般的には、徳島城のような平山城あるいはその城址公園は、城下全体を見渡せる高所に位置し、その土地のシンボルとなります。徳島城も徳島市のシンボル的存在ではありますが、しかし徳島市街地にはもう一つのシンボルがあり、徳島中央公園の南側に位置する青石の産出地である標高290mの眉山です。徳島市街地のどこからでも眉の姿に見える眉山が城下街を一望する高所で、徳島城も見下ろされてしまう地形なのです。市街地に隣接するシンボリックな山から、徳島城(徳島中央公園)を見下ろす景色も圧巻で、徳島市の景観の特徴であり魅力のひとつになっています。
【「徳島中央公園」 地図】