「讃岐のこんぴらさん」こと金刀比羅宮がある琴平町に、列車同士が立体交差する場所があります。3つの通り道のうち、現在使われているのは1つだけですが、かつて金刀比羅宮行きの鉄道が複数あったことがわかる遺構です。

上部がJRで岡山と高知を行き来する特急が頻繁に駆け抜け、下部は高松と琴平を行き来することでんです。
昭和初期に起きたこんぴら鉄道競争

【左】琴平急行電鉄跡、【中】高松琴平電気鉄道琴平線※現行、【右】琴平線複線化予定地です。
こちらの鉄道同士の立体交差が見れる場所は、金刀比羅宮(ことひらぐう、こんぴらさんの愛称で親しまれている)がある香川県琴平町です。なので四国八十八ヶ所霊場巡礼の遍路道中で一般的には訪れる場所ではありませんが、敢えて言うならば、75番札所善通寺付近から金刀比羅宮や満濃池のほとりにある別格17番札所神野寺へ歩いて行く際に通るかな、という感じです。
※金刀比羅宮に関して、以下リンクのオーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」のサイトの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】香川県「金刀比羅宮(こんぴらさん)」の本宮と奥社で授与されるアート御朱印
上部はJR土讃線ですが、その鉄橋の桁下通路が3ヶ所取られている理由は、かつてこの場所を走る別の鉄道があったためです。その鉄道事業者の名前を「琴平急行電鉄」といいます。
香川県の鉄道第一号は「讃岐鉄道」で、明治22年(1889)5月に「丸亀-多度津-琴平」が敷設されました。本州からの汽船が発着する丸亀や多度津の港から、一大観光地である金刀比羅宮への旅客輸送を見込んでのものでした。同社が成功を収めると、県内各地から金刀比羅宮がある琴平を目指す鉄道が次々に計画されていきます。
【讃岐鉄道/現・JR】 ※現存
明治22年(1889)5月23日 丸亀-多度津-琴平 開業
明治30年(1897)2月 高松-丸亀 開業
明治37年(1904)12月 山陽鉄道に合併
明治39年(1906)12月 国有化
大正11年(1922)11月 琴平駅が現在地に移転
【琴平参宮電鉄/琴参】 ※鉄道線は現存しない
大正11年(1922)10月22日 丸亀通町-善通寺赤門前 開通
大正12年(1923)8月 善通寺-琴参琴平 開通
大正13年(1924)10月 多度津西口-善通寺赤門前 開業
昭和3年(1928)1月 丸亀通町-富士見町 開業
昭和3年(1928)3月 富士見町 - 坂出駅前 開業
【琴平電鉄/現・ことでん】 ※現存
大正15年(1926)12月21日 栗林公園-滝宮 開業
昭和2年(1927)3月 滝宮-琴電琴平 開業
昭和2年(1927)4月 瓦町-栗林公園 開業
官営鉄道の一人勝ちを許すまじと、大正時代後期から昭和時代初期にかけて本州からの汽船が発着する各港からこんぴらさんへ、我も我もと次々に鉄道が敷設されていきました。
そこへ更に登場したのが、
【琴平急行/琴急】 ※現存しない
昭和5年(1930)4月7日 坂出-琴急琴平 開業
昭和19年(1944)1月 不要不急線として休止
昭和23年(1948)7月 会社が琴平参宮電鉄に合併
同社の路線は経路こそ異なるものの琴参鉄道と発着地が同じで、それよりも早さをアピールするために社名に急行を冠していることから、既存の鉄道事業者たちに勝負を挑んできたことが窺い知れます。
しかしながら、国鉄の連絡船が発着する高松や、中国地方との連絡船が発着する丸亀や多度津と比べると坂出港へ寄港する船舶は少なく、琴急は苦戦を強いられます。また社名に急行とは付いているものの、実際は各駅停車のみ運転されていたようです。敢えて言うならば、坂出-琴平において、琴参よりは「急行」という意味でしょうか。いずれにしろ昭和時代初期の十数年間は、こんぴらさんを目指す鉄道が四社存在する事態になってしまいました。これらの鉄道路線に加えて路線バスもあったので、いくら金刀比羅宮が日本を代表する有名観光地といえど、当時の人口や旅行需要を考えると明らかな過当競争が起きていました。
こんぴら鉄道競争の終焉

水路に渡されたコンクリート板は後年農作業等のため設置されたものでしょうが、その下の橋台に注目すると、こちらのコンクリート板は旧琴急の鉄橋基礎の上に設置されたものです。
こんぴら鉄道競争に終止符が打たれたのは第二次世界大戦でした。戦局が厳しくなったため、観光路線であり競合路線がある琴急が不要不急線に指定され、運行休止を余儀なくされます。結果的に戦後も復活することなく、琴急が走った期間も14年ほどでした。
この時不要不急になった四社四線の背景を考えてみます。
①省線(現・JR)→善通寺町に乗り入れている、県外と繋がっている
②琴参→競合している経路があるが、善通寺町に乗り入れている
③琴電→観光の面があり発着地が省線と同じではあるが、経路が全く異なる
④琴急→競合している経路があり、営業成績も芳しくなかった
たちまち鉄道省の路線である①は休止できません。
②は①と似た場所を走っていますが、両社とも陸軍がある善通寺を経由しているので、物資や人員輸送を考えると、あればあるだけ必要です。断じて休止することができません。
③は路線の性格でいえば当落線上のように思いますが、四線で最も高規格だったことが作用したかもしれません。
④は残念ではありますが止む無しですね。
戦前の日本は、国防面で内陸の鉄道敷設を優先してきた歴史があります。鉄道が海の近くにあると、海から艦砲射撃などで破壊された場合に不通になってしまうためです。東京-大阪の鉄道を敷設するにあたり、当初は海沿いを走る旧東海道経由ではなく、内陸を経由する旧中山道ルートに決まり一旦は着工されたくらい、内陸を経由する鉄道の存在は重要視されていました。
それでいくと①省線が海沿いを経由しているのに対して③琴電は内陸経由なので、残す理由としては十分あったように思います。
現代の琴平鉄道事情

上部はJRの列車が頻繁に行き来し、近距離輸送の各駅停車に岡山-高知の特急、時には東京からの寝台列車もこちらの鉄橋を通過します。
こちらJRの築堤及び鉄橋は路線開業当初からのものではなく、土讃線が高知方面へ延伸することになり路線が付け替えられ、琴平駅が現在地に移転されたことで誕生しました。
最初に鉄道を敷設した讃岐鉄道としては、本州からの汽船が発着する各港からこんぴらさんへの輸送に重きを置いていたでしょうから、阿波池田や高知方面へ延伸する構想は無かったのでしょうね。当初の琴平駅は現在はホテル琴参閣さんがある辺りにあったようです。
その初代琴平駅の跡地は琴参鉄道に払い下げられ琴参琴平駅になりましたが、同社は昭和時代中期に鉄道事業を廃止したため、その跡地はホテルの琴参閣さんと琴参バスの営業所に転用されています。そのバス会社さんは四国遍路の団体バス巡拝に注力している事業者さんなので、八十八ヶ所寺院の駐車場で同社の団体巡拝バスを見かけたことがある人は多いと思います。
琴急琴平駅は現在は琴平郵便局がある場所にあったそうです。地図を見ると、郵便局からこの立体交差がある場所まで、家屋の並びや道路のカーブの形状にかつての軌道跡を想像することができます。
ことでんは琴平周辺に関しては開業から移転することなく現在も運行を続けています。
最盛期に4社あった琴平行きの鉄道は現在は2社。その全てが別の位置に琴平駅を設けていたのにも驚きを隠せません。金刀比羅宮の存在はとても大きかったことがわかるエピソードです。
※こんぴら鉄道競争の痕跡に関して、以下リンクの記事でもご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【香川県琴平町】川の中にのこる「こんぴら鉄道競争」の痕跡である琴急橋脚跡
※この鉄道立体交差の近隣エリアの鉄道遺構で、日本で一番古い駅舎の可能性がある善通寺駅と、フランドル積みという日本では数少ない煉瓦工法を用いた橋台に関して、以下リンクの記事で紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【75番札所善通寺→76番札所金倉寺】遍路道沿いで見られる珍しいレンガ橋台
【「琴平駅近く鉄道立体交差」 地図】