【高知公園】高知城の面影やゆかりの偉人の業績を感じる歴史公園

高知県高知市の中心市街地にある「高知公園」は、高知城跡に整備された公園で、全域が国指定の史跡に指定され、「日本の歴史公園100選」にも選出されています。城の建造物が多数のこり、高知出身の偉人の業績も感じることができます。

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高知城の建造物が多数のこる貴重な史跡「高知公園」

高知県高知市の中心市街地、高知平野のほぼ中央に標高44.4mの大高坂山(おおたかさやま)があります。この地には中世より城が築かれていたらしいのですが、詳細は不明で、ここに安土桃山時代の天正年間に土佐(とさ。現在の高知県)の戦国武将・長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が城を築きました。その後の関ヶ原の合戦の結果、長宗我部に代わり土佐に転入した山内一豊(やまうちかずとよ)が城郭を整備しました。
城は堀として利用した鏡川・江の口川に囲まれており、「河中山城(こうちやまじょう)」と名付けられましたが、この地は水害が多く、2代藩主山内忠義(やまうちただよし)が「河中」の字を嫌ったために「高智山城」と改名されました。そこから「山」が省略され「高智(または高知)」 となり、城下町もこの名で呼ばれることとなり、現代にも名称が続く「高知城(こうちじょう)」となり、「高知県」「高知市」の 地名ともなって、地域と城の強い関係性がうかがえます。
明治時代に入り、高知城も廃城令にさらされたことから、 二の丸・三の丸をはじめ城内の多くの建造物が取り払われ、明治7年(1874年)には公園設置の太政官布告に基づく「高知公園(こうちこうえん)」 として一般開放されました。

高知公園

高知公園には、高知城の面影が色濃くのこり、全国的にみても貴重な史跡です。

特筆すべき点は、このような廃城令や災害・戦災をくぐり抜けて、現代まで公園内に城郭跡として天守、御殿、懐徳館、納戸蔵、東多聞、西多聞など多くの城郭建造物が現存していることです。これらはすべて重要文化財に指定されています。日本全国で12の天守が現存していることはよく知られていますが、これほど多くの城郭建造物、特に本丸周辺建造物が現存するのはたいへん珍しいです。
※高知城については、以下リンクの記事で詳しく紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【高知城】天守のほか多くの特徴的な建造物や設備が現存する貴重な史跡

一般的に、江戸期を通じてその地方の中心であった城は、明治時代に入り取り壊され荒廃し、それを城址公園として整備することで、シンボルとして再生された事例が多くみられます。このような流れのなかで、城址公園の旧本丸部分には往時を想起させる空白の場所が広がるか、あるいは喪失した天守の復元を試みることがあります。
しかし、高知城跡の高知公園では、往時より連綿と継承されてきた建物群が軒を連ねており、江戸時代の本丸のありようを体感できる、貴重な遺産となっています。建物群が撤去されて広がりのある空間となっている三の丸から二の丸を抜け、本丸まで上がってきたとき、その落差に感銘を受けることでしょう。このような歴史的価値が評価され、日本の歴史公園100選にも選ばれています。
※日本の歴史公園100選について、以下リンクの徳島中央公園の記事で詳しく紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【徳島中央公園】徳島城跡に整備された地元住民の憩いの場であり観光名所

高知公園の高台からは高知市街を一望できます。園内は山木が豊富で、四季折々の景色が楽しめますので、地元の人たちの憩いの場にもなっています。梅のシーズンは2月中旬〜3月初旬、桜のシーズンは3月下旬〜4月上旬、紅葉のシーズンは11月下旬〜12月中旬で、多くの人でにぎわいます。

 

高知ゆかりの偉人の業績を感じることができる名所

高知公園には、この地にゆかりの深い山内一豊と妻・千代の像や、板垣退助(いたがきたいすけ)の像があり、見物客が多い名所になっています。

土佐藩主の山内一豊は、一介の浪人から豊臣秀吉に仕え、大名にまで出世したことで知られていますが、その原動力となったのが妻の千代の存在でした。千代は、初代郡上八幡城主である遠藤盛数(えんどうもりかず)の娘として生まれたとも、近江浅井氏に仕えていた一族に生まれたともいわれ、出自には諸説ある人物で、戦国時代の動乱期に夫である山内一豊を内助の功で支えました。山内一豊・千代が主人公の司馬遼太郎作「功名が辻」が平成18年(2006年)にNHK大河ドラマ化され、一躍注目を浴びました。
高知公園の千代像は立派な馬をひいています。この馬は、千代が結婚の際に持たされたお金とコツコツ貯めていたへそくりをはたいて夫の一豊のために買った馬だとされ、これをきっかけに一豊は秀吉や信長からも注目され出世のきっかけになったと伝わっています。

高知公園_千代像

千代の内助の功のエピソードは広く知られています。

板垣退助は、明治時代の土佐出身の政治家で自由民権運動の指導者です。土佐藩の武士家系に生まれ、高知城下町で育ちました。幕末に活躍した土佐出身の坂本龍馬や武市瑞山とは親戚にあたります。
アジアで初となる帝国議会を樹立し、「国会を創った男」として知られ、伊藤博文、大隈重信と並んで「憲政の三巨人」のひとりとされています。

高知公園_板垣退助

幕末から明治時代初期にかけて、板垣退助をはじめ、たくさん土佐出身者が活躍し、高知県内にはゆかりの史跡がたくさんあり、歴史ファンを引き付けています。

 

高知公園は、高知城や高知ゆかりの偉人の歴史を体感できる貴重な歴史公園です。お遍路道中で高知市中心市街地に立ち寄ったり宿泊したりするお遍路さんが多いと思うので、ぜひ立ち寄って、高知の歴史浪漫を感じてみてください。

 

【「高知公園」 地図】

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この記事を書いた人

建築・不動産・旅のテーマが得意なライター。社寺系ゼネコンに勤務経験があり、四国八十八ヶ所霊場の札所建築物の改修工事に携わったことがあります。仏教に興味があり、2022年には四国のお遍路巡礼もしました。ライターとは別名義で作家として小説も書いています。