四国八十八ヶ所霊場5番札所地蔵寺近くの中務茂兵衛標石が立つ横にあるお地蔵さまは、高い台座に祀られています。そのお姿には、阿波國の歴史が秘められています。
5番地蔵寺近くの中務茂兵衛標石に関しては、以下リンクの記事もぜひご覧ください。
【5番札所地蔵寺近く】湖国の方々の御寄進によって建てられた標石
—– こちらの記事に登場する主な地名・単語
標石(しるべいし)
高地蔵(たかじぞう)
坂東太郎・利根川(ばんどうたろう・とねがわ)
筑紫二郎・筑後川(ちくしじろう・ちくごがわ)
四国三郎・吉野川(しこくさぶろう・よしのがわ)
藍(あい)
刻みタバコ(きざみたばこ)
脇町(わきまち)
地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
阿波國(あわのくに)
暴れ川・四国三郎
徳島の生命の根源であり 心の拠りどころ、四国三郎こと吉野川。
"日本三大暴れ川" の一つであり、徳島の歴史、特に江戸時代以降は "洪水と治水の歴史" と言っても過言ではありません。
(日本三大暴れ川→ 坂東太郎…利根川 筑紫二郎…筑後川 四国三郎…吉野川)
上流に降水量が多い地域を抱え、水量が豊富な吉野川。
昔は川船が頻繁に行き交い、道路未整備の時代の移動には吉野川が利用される、すなわち「川が道」として機能していました。
"うだつが上がらない" の例えで有名なうだつの街・脇町等 、吉野川沿岸の街には出荷を控えた藍や刻みタバコ等の特産品が集まり、それに携わる仕事に就く人たちの宿場としても繁栄。
"川の港" として、集積された物資がそこから國外(現在でいうところの県外)へもたらされました。
その反面、川の流れが複雑に蛇行していた吉野川下流域は、洪水常襲地帯。 ひとたび雨が降ると収穫を控えた田や畑の作物が流されることはもちろん、家・寺院などの財産や人の命さえ流されることがしばしば発生。
どうにかして水害から逃れたい
不幸にも亡くなってしまった人たちを弔いたい
けれど、
通常通りお地蔵さまを祀ると やはり洪水で流されてしまう…
お地蔵さまが流されてしまっては申し訳ない…
そこで吉野川下流部の路傍に地蔵菩薩を建立する際は、その多くが台座を高く築いた上で 祀られるようになったそうです。
高地蔵の高さに秘められた話
この場所で見られるお地蔵さまは 高地蔵と言っても、まだ低い方。
吉野川に より近い場所や、近代に行われた河川改修以前に川が流れていた場所等には高地蔵が集中しており、その高さが4mを超えるものもある。
台座が高いお地蔵さまが立つ場所に言えることは、
他より、
洪水被害が甚大な地域
被災人口が多かった
より水害回避の願い大きい
などの理由が考えられる。
人々の信仰心と願いの強さがお地蔵さまをより高く祀った。
高地蔵は阿波國の歴史を伝える徳島ならではの光景となっています。
【「5番札所地蔵寺近くの高地蔵」 地図】