空海悟りの地であり室戸三山と称する3カ寺を抱える高知県の室戸には、捕鯨で栄えた歴史があります。そんな鯨漁の歴史を今に伝えるお寺が室戸の旧市街地にありました。鯨漁の組頭が建立し、鯨の位牌を祀る「中道寺」です。
捕鯨の拠点として発展した室戸
空海とゆかりの深い室戸は古くから漁業の町として栄えた歴史があり、室戸の中心部にある25番札所津照寺(しんしょうじ)も、漁師たちの海の守り仏として信仰を集めています。
室戸市史によれば、室戸が漁村集落として発展したのは、1624年から始まった捕鯨と港の形成(修築)に端を発するとあり、捕鯨が漁業の町室戸を形成した重要な要素であったことがわかります。
鯨の位牌を祀るお寺「中道寺」に向かう
捕鯨の歴史ときっても切れない関係にある室戸。そんな室戸の町に、鯨の位牌を祀るお寺があると聞き、尋ねてみることにしました。「中道寺(ちゅうどうじ)」というそのお寺は、旧市街地の中心部にある宮地山(みやじやま)の山頂にあるとのこと。
宮地山への行き方をたずねるために道ゆく女性に声をかけたら、中道寺住職の奥様その人だったという偶然もあり、思わぬ展開に驚きながら、そのまま道案内をしていただくことになりました。
捕鯨組織の頭元が建立した日蓮宗のお寺
坂を登ると、それほど広くない境内に神社とお寺が仲良く並んでいるのが見えてきます。
住職に鯨の位牌を拝見したいと伝えると、快く雨戸を開けていただき、中に入れてくださいました。中道寺は日蓮宗のお寺なので、祭壇も日蓮宗の様式になっています。
見せていただいた鯨の位牌は、高さ1mほどある巨大なものでした。その大きさに驚きながら、住職の児玉氏に、鯨の位牌ができた経緯についてお話をうかがうことができました。
室戸に存在した二つの捕鯨組織と寺の成り立ち
−なぜ中道寺に鯨の位牌が祀られているのか、歴史的背景を教えてください。
「室戸には『津呂組(つろぐみ)』と『浮津組(うきつぐみ)』の二つの捕鯨組織があり、中道寺は『浮津組』の初代頭元、宮地武右衛門によって建てられました。武右衛門は香美郡上田村(現高知県南国市)の人物ですが、捕鯨組織を立ち上げた後に室戸に移住してきたそうです。その際、自身が信仰する日蓮宗のお寺を故郷から室戸に移して「宮地山中道寺」と号したと伝えられています(元禄十年/1697年)。
高知では日蓮宗は珍しいのですが、そのような縁があって建てられたお寺です。移住後も宮地家は捕鯨組織の頭元として、藩の援助を受けながら代々捕鯨集団を率いていました。ここは、そんな宮地家の菩提寺としての色合いが強い寺院だといえます。
鯨の位牌は江戸後期の1840年に、当時の宮地家の頭元によって作られています。1800年から1837年の間に、1000頭の鯨を獲ったことの供養のためだそうです(児玉住職)。」
1000頭の鯨を供養する鯨位牌
−1000頭とはすごい数ですね。
「数だけ聞くとそうですが、37年の間に1000頭ですから1年になおすと27頭くらいです。大人数の組織で捕鯨することや集落の貴重な収入源であったことを考えると、驚くような数でもありません(児玉)。」
−位牌を作った人は信仰の厚い人物だったのでしょうか。
「自身の寺を建立するぐらいなので、宮地家はもともと信仰の篤い家だといえるかもしれません。当時の仏教思想の影響下にあって、殺生は罪とする意識も強かったことでしょう。
ただ、鯨位牌を作った頭元は、位牌の2年前にも梵鐘を寄進しており、鯨を弔う気持ちは宮地家の中でも特別だったと考えられます(梵鐘は戦争で供出されたため現在は存在しない)。また、この位牌は地元にはない技術で作られており、遠方に発注して作らせたもことも伝わっています。いかに鯨の供養に力を入れていたかがわかるエピソードではないでしょうか(児玉)。」
−当時の鯨への弔いの気持ちが、この巨大な位牌に現れているのですね。貴重なお話をありがとうございました。
突然の訪問にもかかわらず、丁寧に鯨位牌と捕鯨の歴史を説明してくださった児玉住職。巨大な鯨位牌から、鯨を敬いその霊を弔う当時の心意気が伝わってきました。鯨位牌は事前に連絡をすれば見せてもらえるそうなので、興味を持たれた方は問い合わせてみてはいかがでしょうか。
【寺名】 | 宮地山 中道寺(みやじさん ちゅうどうじ) |
宗派: | 日蓮宗 |
創建: | 宮地武右衛門 |
住所: | 高知県室戸市浮津373-1 |
電話: | 0887-22-3741 |