【城郭建築の基礎知識③】築城の計画・選地と城郭の設計(用語解説)

現代の日本には歴史的建造物としてお城が保存されていたり復元されたりしています。お城を造る際の計画や選地、城郭の設計がどのようにして行われてきたのか、城郭建築の分野でよく使われる用語とあわせて、具体的にご紹介します。

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築城の計画 -どんなお城を造るかー

築城の際に、主体となる発注者(施主)は、朝廷や幕府などの国家、御家人・守護・地頭・大名・ 国人などの武士、有力な寺院のほか商人や農民など様々でした。
築城する目的も、自分の本拠地として築くのか、領地の境界警備のために築くのか、あるいは、相手を攻撃するための足がかりとするのか、それぞれの目的に応じた城を築きました。

【お城の主な種類】
●本城(ほんじょう):領国内または一定地域の中心となる城。根城(ねじろ)ともいう。 本拠地として地域支配の拠点であり、領内に形成された城郭ネットワーク (支城網) を統括する。大軍を収容できる規模と高い防御力があった。

●支城(しじょう):領内のある一定地域の拠点となる城。 周辺地域の兵の集結地、 自軍の中継基地ともなる城。城主・城代には、領主一族や有力家臣が任じられた。 領主直轄の支城で城番の置かれた城は、番城(ばんじろ)・番手城(ばんてじろ)という。

●陣城(じんしろ):合戦時もしくは城攻めの折、指揮者が入り戦の指揮をした城。臨時の城で、まわりに応急的な空堀、土塁を備えていた。

●付城(つけじろ):陣城のうち城攻めの際に、攻略の橋頭堡(きょうとうほ)とするため敵城のできるだけ近くに「付けるように」築いた城。

 

 

築城の選地 -お城をどこに造るかー

築城の目的に合致した地域の中で、地形や交通など地理的に要害の地を選んで城は築かれていました。城を築くところを選ぶこと、すなわち選地を地取り(じどり)といいました。

【お城の立地による区分】
●山城(やまじろ):山地に築かれた城。たとえば備中松山城、大和高取城、但馬竹田城など。

●平山城(ひらやまじろ):丘陵の頂部から麓まで一体的に築城した。 姫路城、 岡山城、 和歌山城など。

●丘城(おかじろ):河岸段丘や舌状台地といった丘陵の上部平坦地を利用した城。 佐野城、小山城など。

●平城(ひらじろ):平地に築かれた城。二条城、 駿府城、 清州城など。

●海城(うみじろ)・水城(みずじろ):河川・湖沼・海を利用して築かれた城。 今治城、高松城、 諏訪高島城など。

●家城(いえじろ):江戸時代にみられる軍事面より領主支配の象徴としての要素の強い城館。または城主や城代の生活面を優先して築かれた城。大内氏館、躑躅ヶ崎館など。

岡山城_平山城

平山城の事例「岡山城」

清州城_平城

平城の例「清州城」

 

 

城郭の設計 -お城の縄張りー

選地でどのような地形に築城するかが決まったら、その地形にどのように曲輪(くるわ)を造り、土塁線をどうするか、虎口(こぐち)をどこにするかというのを決めます。工事に際して、土地に縄を張りお城の区画や構成を決めていたことから、「縄張り(なわばり)」といいます。
城郭研究の広がりとともに、縄張りの区分が増えていますが、主な形式を3つご紹介します。

【お城の縄張りの形式】
●輪郭式縄張(りんかくしきなわばり):本丸を中心にその周りを「回」の字型に、二の丸・三の丸・曲輪でぐるりと取り囲む形式。 城地に余裕のある平城にこのタイプが多い。 輪郭式の中でも方形の本丸・二の丸にほぼ円形の三の丸と外曲輪を配した田中城は円郭式(えんかくしき)と呼ばれている。
徳川期の大坂城、二条城、駿府城、山形城、篠山城、名古屋城など。

●連郭式縄張(れんかくしきなわばり): 本丸・二の丸など主要な曲輪を一直線上に連ねた配置。山の尾根上を利用した山城や平山城に多い。 本丸は縄張の一番奥に位置する場合と、中間に位置する場合がある。尾根や岬、舌状台地などの細長い山丘陵を堀切で区切ることでこの形式になる場合がほとんどで、平地でこの形式で築かれる例はほぼない。 自然地形を最大利用し、少ない労力で防御力の高い城を築くことができることから、比較的古い時代に築かれた城に多い。
犬山城、 彦根城、 水戸城、 小山城、 佐野城、 古河城など。

●梯郭式縄張(ていかくしきなわばり):本丸を湖沼や山河、絶壁などの「天然の防御設備」を背にして配置し、本丸の周囲の2方向、あるいは3方向を他の曲輪で囲む縄張。 本丸は中心ではなく片寄った位置になるが、輪郭式のように四方すべてを囲まずに防御が可能となる。自然地形を応用することが多いため平山城に多くみられる。
会津若松城など。

名古屋城_輪郭式縄張

輪郭式縄張の例「名古屋城」

彦根城_連郭式縄張

連郭式縄張の例「彦根城」

 

【お城の曲輪の種類】
●本丸(ほんまる):城内において中心となる曲輪で、中世では本城(ほんじょう)・実城(みじょう)とも称された。戦の際は司令部が置かれ、江戸時代には御殿が建てられ藩政の中枢を担った。江戸時代中期になると、政庁の機能が拡大したため、御殿の二の丸への移転が進んだ。狭隘な本丸は次第に荒廃して城の中心という機能を失っていった。

●二の丸(にのまる):本丸を保護する第二の曲輪。 古くは中城(なかじろ)と称された。本丸を取り囲む形、または本丸と並列して築かれていることが多い。二の丸に城主の御殿を営んだ城は多く、江戸時代中期には政庁の機能を本丸から二の丸に移す城が増え、二の丸が城の日常で実質的な中枢となっていった。三の丸(さんのまる)には、二の丸と同様に城主の館、もしくは重臣の屋敷が置かれた。

●虎口(こぐち):城の出入り口を「虎口」という。城の内外、曲輪間を結ぶ所。本来は「小さい出入り口」を開くことをいったので小口と表記されていたものが虎口と記された。

●枡形虎口(ますがたこぐち):四角形の空間を造り、2ヶ所の口を開ける虎口である。城内側を一の門といい櫓門(やぐらもん)、城外側を二の門といい高麗門(こうらいもん)とした城が多い。 また、城内に向かって右に折れる右折れが多くみられる。

 

 

お城と一口に言ってもいろいろな種類があり、建造する土地や目的などの条件によって、最適なお城を計画・設計しなければ本来の役割を果たす建造物にはなりません。城郭建築の様式には先人の知恵とその当時の時代背景が詰まっています。

※築城の具体的な技法や城郭建築の種類に関しては、以下リンクの記事に続きますので、ぜひこちらもご覧ください。

【城郭建築の基礎知識④】城郭の普請と建造物の施工(用語解説)

※城郭建築の歴史の変遷に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。

【城郭建築の基礎知識①】日本のお城の変遷(原始-古代-中世-戦国時代-安土桃山時代)

【城郭建築の基礎知識②】日本のお城の変遷(江戸時代-近代-現代)

 

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この記事を書いた人

建築・不動産・旅のテーマが得意なライター。社寺系ゼネコンに勤務経験があり、四国八十八ヶ所霊場の札所建築物の改修工事に携わったことがあります。仏教に興味があり、2022年には四国のお遍路巡礼もしました。ライターとは別名義で作家として小説も書いています。