標石密集地帯である愛媛県四国中央市。庶民への四国遍路普及に伴ってそれを手助けする標石建立が江戸時代から行われてきました。65番札所三角寺へ向かう道中に、標石の元祖ともいえる真念遍路石が丁寧な形で残されています。
真念
江戸時代初期の高野聖(こうやひじり)で、四国遍路を行うこと20回以上。自身の経験と高野聖仲間らと貞享4年(1687)に四国八十八ヶ所初とされる旅行案内書「四國邊路道指南(しこくへんろみちしるべ)」と解説編に当たる「四國徧禮功徳記(しこくへんれいくどくき)」を出版した。また四国遍路救済のための遍路小屋「真念庵」を建てたり、分岐点や迷い易い場所に道標「真念石」を200基以上建立。四国八十八ヶ所参りが庶民に普及するきっかけ作りを行った人物。
「四國邊路道指南」は元禄11年(1698)の5回目の改訂に際して大幅にリニューアルが施され、1ページあたりの行数を少し大きくすることで本を薄くして携行性を高め、タイトルが「四國徧禮道指南(しこくへんれいみちしるべ)」に改められた。本来「邊路、遍路、辺路」は辺境の地を表すもので、当初のタイトルであれば「四国の辺境旅のガイドブック」になりますが、「徧禮、遍礼」だと「巡礼行為」を表すものとなる。その点、真念さんの高野聖チームの四国八十八ヶ所への想いや、本を手に取って実際に旅に出る読者のニーズが反映されているのかなと感じます。
※真念に関しては以下リンクでも詳しくご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【真念庵】江戸時代に四国遍路の普及に努めた「真念」ゆかりの場所
標石の正面に表記されている内容
<正面>
右遍ん路みち
願主
真念
真念遍路石はサイズが小さく、建てられたのが17世紀(1601-1700)後半と古く字が消えて見えなくなっていたり、記録が残されていてもその場所から紛失してしまっている石も数多い。その内容は後年に別の巡礼者によって建てられた標石らと比べると非常にシンプルです。
標石の右面に表記されている内容
<右面>
梵字
為父母六親
「六親(ろくしん、りくしん)」とは、自身を中心とした親族を表すもので「父・母・兄・弟・妻・子」を指しますが、兄が姉であったり組み合わせはその限りではありません。現在よく使われる文言に置き換えると「身内」「家族」の親族範囲といえます。
標石の左面に表記されている内容
<左面>
施主
大坂寺嶋
阿波屋甚右ヱ門
大坂寺嶋(おおさかてらしま)→現・大阪市中央区谷町6丁目付近
時代的に大阪は「大坂」であり、現在の空堀商店街(からほりしょうてんがい)付近に相当する街区。真念自身も四国遍路を行っていない時は当地で暮らしていたようです。
石とは関係ありませんが、女子プロテニスプレイヤーの大坂なおみさんの出生地でもあります。
【「四国中央市の真念遍路石」 地図】