【大水上神社】水神と磐座そして太陽を祀る讃岐二之宮

讃岐二之宮である香川県三豊市の大水上神社は、水神と巨石信仰・太陽信仰の痕跡が複合的に残る珍しい聖地の一つです。西讃にみられる二至を結ぶレイラインとも深い関係をもっています。

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讃岐一之宮と讃岐二之宮

讃岐国には一之宮がふたつあります。ひとつは高松市街の南方にある田村神社で、もうひとつは東讃にある水主神社です。今回ご紹介する西讃の大水上神社はそれに次ぐ二之宮になります。ふたつの一之宮とこの二之宮を合わせると、ちょうど讃岐全体に分布する形となり、そうしたバランスを考えて配置されたことが伺えます。
※田村神社と水主神社に関しては、以下リンクの記事で詳しくご紹介しています。

【水主神社編】倭迹迹日百襲姫の源流を示す讃岐のレイライン

【讃岐一宮田村神社・船山神社編】倭迹迹日百襲姫の源流を示す讃岐のレイライン

大水上神社のロケーションは水主神社に似ていて、もともと水神が祀られていたことも共通します。創建年代は不祥。境内は宮川に沿い、現在は社殿も参道も西を指していますが、かつての参道は夏至の日入方向に伸びいました。これは谷筋が伸びる方向と同じで、夏至に太陽が沈むときに、谷の奥にまで日差しが差し込むことが、聖地とされた大きな要素であることがわかります。宮川を挟んで向かいの山腹にある奥宮の参道は今でも夏至の日入方向に伸びていいます。
この方位は、同じ西讃エリアに見られる冬至の日の出と夏至の日の入りを結ぶ二至レイラインとも一致していて、この地域一帯が太古から、このレイラインを意識していたことをうかがわせます。
※西讃エリアのレイラインに関しては、以下リンクの記事で詳しくご紹介しています。

冬至・夏至を意識した香川県三豊市の聖地・レイラインとお遍路関連史跡

大水上神社 本殿参道

参道入口から社殿方向を望むと東方向になる。このことから、社殿は西面していることがわかる。

大水上神社 旧参道

こちらが本来の参道で、夏至の入り日方向に伸びている。

 

水神と巨石信仰・太陽信仰

本殿の背後と奥宮周辺には磐座信仰を伝える巨岩があり、磐境(いわさか)を形成しています。本殿横には、「うなぎ淵(竜王淵)」と呼ばれる淵があり、旱魃時には降雨祈願が行われました。ここには、黒白のうなぎが住んでおり、黒うなぎが姿を見せると降雨、白うなぎが姿を見せると日照り、蟹が出ると大風になると言い伝えられてきました。
太古の信仰をうかがわせる二至を指す参道と巨石信仰、そして水神を祀ることから、二之宮に列せられたのでしょう。讃岐国初代国造とされる日本武尊の第五子武殻王の崇敬が篤く、空海も入唐のおりに当社に詣でたとも伝えられています。

西讃府志には「平家四社、相伝フ平中納言教盛、大夫経盛、中納言資盛、少将有盛等の諸将ヲ祭レリ」とあります。これは、源平合戦の折に、平家のこの武将たちがここで戦勝祈願したのに、滅亡してしまい、その亡霊が期待に応えなかったことを恨んで祟ったため、戦勝祈願したこの四人を祀ったという言い伝えも残っています。
現在の祭神は、大水上大明神、保牟多別命、宗像大神とされています。保牟多別命=応神天皇は鎌倉時代遺構の八幡神信仰に繋がるものと思われ、宗像大神は西讃に定住した海人族がもたらしたものと考えられます。
大水上大明神は、大山積命とされていますが、高皇産霊尊、罔象女命、国常立尊、三嶋龍王など諸説あって確定されていません。しかし、このロケーションから考察すると、罔象女命もしくは三嶋龍王のような水神と考えるのがもっとも可能性が高いのではないかと思われます。

大水上神社 奥宮参道

奥宮へ向かう参道。この方向は冬至の日の出方向になる。

大水上神社 奥宮 磐座

奥宮の祠自体は西面している。後ろに巨岩を背負い、これが磐座に見立てられていることがわかる。

 

谷間深く、清水の湧き出すところに水神が祀られることは多々ありますが、そこに巨岩信仰である磐座と太陽信仰が組み合わさった大水上神社のような場所は稀です。讃岐の一之宮など他の聖地との関係性まで視野を広げると、地域全体の歴史を紐解くヒントになることでしょう。

 

【「大水上神社」 地図】

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この記事を書いた人

聖地と呼ばれる場所に秘められた意味と意図を探求する聖地研究家。アウトドア、モータースポーツのライターでもあり、ディープなフィールドワークとデジタル機器を活用した調査を真骨頂とする。自治体の観光資源として聖地を活用する 「聖地観光研究所--レイラインプロジェクト(http://www.ley-line.net/)」を主催する。