【満濃池】国内最大級の農業用ため池は平安時代に空海が修築しその礎を築く

香川県満濃町にある「満濃池」は国内最大級の農業用ため池で、その周辺も含め国の名勝に指定されている自然豊かな環境です。平安時代に氾濫が続いていた満濃池を先進の土木技術で修築し、現代に続く礎を築いたのは讃岐出身の空海でした。

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「満濃池」とは

「満濃池(まんのういけ)」は、香川県まんのう町にある周囲21km、貯水量1540万t、灌漑面積3339haの農業用ため池です。すぐ近くには四国別格二十霊場の17番札所神野寺があります。アクセスはJR土讃線の塩入駅からおよそ1kmです。

湖畔が散策でき、散歩・散策スポットとしても人気です。国の名勝に指定されていて、周辺には国営讃岐満濃公園、満濃池森林公園が広がっています。
国営讃岐満濃公園では70種20万本のスイセンが植えられ、毎年3月中旬から4月上旬が見頃です。満濃池森林公園は満濃池の西南岸に広がる64haの緑豊かな公園です。遊歩道や野鳥の森などがあり、散策コースもあり自然観察イベントも開かれています。また、すぐ北側の堤防下にある、ほたる見公園には「ぼたん園」「ほたるの里」が整備されており、5月下旬から6月中旬にはゲンジボタルの一種、まんのうホタルが見られます。

満濃池

現役の農業用ため池としも活躍している満濃池の周辺は自然豊かで多くの人が集います。

弘法大師空海は平安時代初期の821年5月27日、故郷・讃岐にあるこの満濃池を修築する別当(べっとう。土木工事の統轄・監督にあたる職)に任じられました。ただちに空海は故郷へ帰って改修工事にとりかかり、アーチ型堤防など当時の最新工法を駆使して、同年9月ごろには工事を完成に導いたといいます。

 

氾濫が続く満濃池の修築を託された讃岐出身の空海

空海が高野山開創に着手したころ、毎年のように日照りや洪水が続いており、農民らは苦しんでいました。朝廷は農民救済のために、各地でため池を築くなどの事業を行いました。そのさなか、818年に空海の故郷である讃岐でも満濃池が洪水で決壊し、田畑や人家が流されました。ついで翌819年には干ばつに見まわれました。つづく自然災害のたびに満濃池の改修工事をしていましたが、やはり雨期になると決壊していたそうです。

このころ国の中務省(なかつかさしょう。現在の内閣のようなイメージ)に出入りしていた空海の名声、とりわけ密教の華麗な修法の評判は、それに接した者たちから次々に広がり、讃岐にも届いていました。それゆえ讃岐の人々は空海の修法の威力に期待をよせ、満濃池の改修工事の別当に空海をあててほしいと国司(こくし。現在の県知事のイメージ)に嘆願しました。
それを受けて国司が上表文(請願書)を朝廷に差し出したところ、821年5月末に「僧空海を讃岐国の溜池の改修工事の別当に任じる。ついては沙弥一人と童子四人を従者としてつけ、 讃岐に下向させよ」という内容の太政官符(だいじょうかんふ。公文書)がくだりました。

下向とは、都から地方へ行くことで、京下りともいいます。僧である空海にとって利他つまり人々に利益を施して救済することは理想であり、満濃池の改修工事を完成に導くことは自分の意にかなうと考えたのでしょう。こうして満濃池の土木工事を監督・指揮するために、空海は一人の沙弥(20歳未満の若い僧)と4人の童子を引き連れて故郷へ向かいました。

京から讃岐国・香川県に行くには、まず大和国・奈良県へくだります。ついで河内国 ・大阪府南東部を通って和泉国・大阪府南部に入り、摂津国・大阪府西部と兵庫県南東部の難波津へ。難波津は瀬戸内海航路の拠点・難波江(今の大阪湾の入り江)の港です。そこから海路で淡路国・淡路島へ渡ります。そこからさらに海を渡って阿波国・徳島県に上陸し、あとは陸路で讃岐へ入る、通説ではこう考えられています。

ただ、これはかなりの遠回りになり、現実的に考えると京から瀬田川で南下し、淀川で難波津へ出た方が労力も時間も節約できます。
いずれにしても、讃岐に到着したのは6月10日頃でした。

 

空海が身につけていた先進の土木知識と技術

空海は満濃池に突き出た大きな岩の上に壇を設けて護摩を焚き、改修工事の安全・成就を願う修法を行い、加護を祈ってから、渡来人の技術者や多くの人夫を使って改修工事にとりかかりました。
このときに空海が用いた「余水吐き・余水路」の仕組みは、現代のダムにも採用されているといいます。「余水吐き」とは、余分な水を流下させるためにダム本体に設ける水路口のことです。
また、水の圧力を分散させるアーチ型の堤も残っています。

空海は僧の学芸である「五明」をきっちり学んでいましたので、そのなかの「工巧明」、すなわち工学・数学などの知識を身につけていました。唐に渡った際に、先進の土木技術に目を見はり、その高度な知識と技術も学んだといいます。
その経験があったので渡来人出身の技術者たちを思うままに動かすことができ、6月にはじめた改修工事を3ヶ月で完成に導きました。
9月6日には平安京へ帰着しています。

満濃池_余水吐き

空海が用いた当時の先進技術は、現代にも引き継がれ、周辺住民を守り続けています。

 

国内最大級の農業用ため池・満濃池は、国の名勝にも指定されるすばらしい景観です。別格17番札所神野寺があることからわかるように、空海と所縁が深い史跡でもあるので、お遍路さんもぜひ立ち寄っていただき、空海の業績に目を向けてみてください。

 

【「満濃池」 地図】

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この記事を書いた人

建築・不動産・旅のテーマが得意なライター。社寺系ゼネコンに勤務経験があり、四国八十八ヶ所霊場の札所建築物の改修工事に携わったことがあります。仏教に興味があり、2022年には四国のお遍路巡礼もしました。ライターとは別名義で作家として小説も書いています。