【79番札所天皇寺近く】「天皇」と刻まれた中務茂兵衛標石

79番天皇寺の近くに「天皇」と刻まれた中務茂兵衛標石があります。ただし、現代のお遍路さんがよく通る遍路道と異なり、次の80番札所国分寺とも違う方向のエリアにありますが、どのような経緯が考えられるのでしょうか。

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79番札所天皇寺近くの天皇と記された中務茂兵衛標石_立っている場所_五色台

地図を見てもこの道は旧街道などではなさそうで、かつてお遍路さんが通行していたイメージがわき難い。

 

中務茂兵衛義教

中務茂兵衛 写真

中務茂兵衛義教<なかつかさもへえよしのり/弘化2年(1845)4月30日-大正11年(1922)2月14日>

周防國大嶋郡椋野村(すおうのくにおおしまぐんむくのむら、現山口県周防大島町)出身。
22歳の頃に周防大島を出奔(しゅっぽん)。それから一度も故郷に戻ることなく、明治から大正にかけて四国八十八ヶ所を繰り返し巡拝する事279回と87ヶ所。バスや自家用車が普及している時代ではないので殆どが徒歩。 歩き遍路としての巡拝回数は最多記録と名高く、今後それを上回ることは不可能に近い。 明治19年(1886)、茂兵衛42歳。88度目の巡拝の頃から標石(しるべいし)の建立を始めた。標石は四国各地で確認されているだけで200基以上。札所の境内、遍路道沿いに数多く残されている。

 

標石が立っている場所

79番札所天皇寺近くの天皇と記された中務茂兵衛標石_行先が無い正面

後ろの山が五色台で、山上に見えている旧ニューサンピア坂出の近くに81番白峯寺があります。

捜索難易度でいえばトップクラスの難しさがある標石です。

①やや小さい
②現代の歩き遍路地図には記されていない道沿いにある
③79→81→82→80と行く場合に通るかどうか

79番天皇寺付近の標石を調べていると、茂兵衛さんは③の順路を推している気がしてきました。戦前は札所番号にとらわれず効率の良い回り方や番外霊場も織り交ぜて四国遍路を回っていたと聞きますが、その時代は③のルートが一般的だったのかもしれませんね。
※79番札所天皇寺近くにある中務茂兵衛標石に関しては、以下リンクの記事でご紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。

【79番札所天皇寺近く】崇徳上皇伝説の「八十場の霊泉」のほとりに立つ中務茂兵衛標石

【79番札所天皇寺近く】行先が書かれていない中務茂兵衛標石から想像できること

 

標石正面に表記されている内容

79番札所天皇寺近くの天皇と記された中務茂兵衛標石_天皇の表記

袖付き指差しのみで行先地名が記されていないのはこのエリアにある標石の特徴です。


<正面>
左(袖付き指差し)
大阪西區松島仲ノ町二丁目
施主
新●●●


大阪西區松島仲ノ町二丁目(おおさかにしくまつしまなかのまち)→大阪市西区千代崎(おおさかしにしくちよざき)

住居表示の変更によって当時の地名は消滅しておりますが、現在京セラドーム大阪がある街区です。千代崎は縦長で北から1丁目・2丁目・3丁目にわかれていますが、京セラドームがあるのは最も南の千代崎3丁目。寺島新田と呼ばれたこの地は大阪ガス発祥の地でその工場跡地へ平成9年(1997年)3月に開場したのが大阪ドームです。現在はガス関連施設は少なくなったとはいえ、ドームの南には大きなガス貯蔵タンクが立ち並んでいます。

標石の施主が暮らしていた松島は、千代崎の中で最も北の1丁目に松島公園と名が付く公園があるので現在の千代崎1丁目でしょうか。南の寺島・北の松島の地名が表すように現在千代崎にあたる地域はかつて東は木津川、西は尻無川に挟まれた中州の土地でした。

正面上部に刻まれているのは指差しだけで行先や里程などは記されておりません。こちらは79番天皇寺周辺で見ることができる中務茂兵衛標石に多い特徴です。

 

標石右面に表記されている内容

79番札所天皇寺近くの天皇と記された中務茂兵衛標石_右面

石が小さいうえに字も薄いので、今の状態のままでは内容が確認できる日はあまり長くないかもしれません。


<右面>
明治二十七年七月吉辰


明治27年は西暦1894年。

同年同月25日、日清間で豊島沖海戦(ほうとうおきかいせん)が勃発しています。厳密には日清戦争前の戦闘になりますが、一触即発状態にあった両国がこの海戦が契機となり、約1週間後の8月1日に宣戦布告し戦闘状態に突入しました。

 

標石左面に表記されている内容

79番札所天皇寺近くの天皇と記された中務茂兵衛標石_天皇の表記

行先の表記が「天皇」で、その下に茂兵衛さんの巡拝回数が記されている。


<左面>

天皇
一百三十七度目為供養建之
周防國大島郡椋野村
願主中務茂兵衛


中務茂兵衛「137度目/279度中」の四国遍路は自身50歳の時のものになります。

「天皇」について、通常は「陛下」と尊称がつくので、このように単体で目にする機会はなかなかありません。もっとも人物のことを表現しているのではなく、明治以前の白峰宮は崇徳天皇社の名称だったので、第75代崇徳天皇ゆかりのそちらの社を指すものではないと考えられます。
天皇寺のことを指すものとも考えられますが、明治時代以前の納経帳などで見ることができる第79番札所の名称は「摩尼珠院(まにしゅいん)」や「妙成就寺(みょうじょうじゅじ)」で、明治時代の復興以降は「高照院(こうしょういん)」が多く見られます。
では天皇寺という名称はどこから来ているのか。前述のように正式名称があったので、おそらく通称・愛称のようなイメージで浸透していたのではないかと考察します。金毘羅大権現→こんぴらさんのようなことでしょうか。寺である摩尼珠院は天皇寺、社であり崇徳上皇が祀られていた崇徳天皇社は天皇さん。
天皇という単語だけで見る機会は少ないので、こちらの標石にどのような意図でこのような表記をしたのか気になります。

 

79番札所天皇寺周辺の標石を調査してみると、現代でお遍路さんがよく通る遍路道とは異なるルートが中務茂兵衛さんによって推奨されていたように思います。かつてのお遍路さんの動きをさらに詳しく調査・考察することができれば、新たな歴史を発見できるかもしれません。

 

【「79番札所天皇寺近くの天皇と記された中務茂兵衛標石」 地図】

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この記事を書いた人

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。