【知多四国霊場】開創者「三開山」を祀る開山所「妙楽寺」「葦航寺」「誓海寺禅林堂」

知多四国霊場には3人の霊場開創者である「三開山」を祀る「開山所」と呼ばれている札所が3ヶ所あります。知多市にある「妙楽寺」、美浜町にある「葦航寺」「誓海寺禅林堂」がそれにあたり、三開山の功績を現代に伝えています。

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「三開山」を祀る知多四国霊場「開山所」

知多四国霊場の札所には、88ヶ所の札所とは別に「開山所(かいざんしょ)」と呼ばれる札所が3ヶ所存在しています。納経帳にも88ヶ所の札所に続いてページが設定されており、他の地域の八十八ヶ所霊場巡礼では見られない知多四国霊場の特徴でもあります。

開山所に関連する言葉で「三開山(さんかいざん)」というものがあります。これは、知多四国霊場開創に大きく貢献した3人の人物をさします。「亮山阿闍梨(りょうざんあじゃり)」「岡戸半蔵(おかどはんぞう)」「武田安兵衛(たけだやすべえ)」の3人が力を合わせ、知多四国霊場開創のために知多半島の寺院を説得してまわりました。その結果、開創することができたので、3人のことを三開山とを呼び崇めています。そして、この3人が祀られている場所をその功績を称える開山所とし、札所に設定されました。
※知多四国霊場開創の経緯に関しては、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

【知多四国霊場】開創を成し遂げた「三開山」の強い想いと大きな苦労・努力のエピソード

開山所として設定された具体的な時期は記録が残っておらず正確にはわかっていませんが、過去の納経帳を調べてみるとその経緯を知るヒントが見つかりました。明治時代前期の納経帳には、まだ開山所は記されておらず、大正時代の納経帳には開山所として3ヶ寺が登場しています。このことから、明治時代中期から大正時代にかけての期間に開山所が設定されて、知多四国霊場の札所に加わったと推測できます。

知多四国霊場納経帳_大正時代_開山所妙楽寺

大正時代の知多四国霊場納経帳に開山所のページが登場しています。

現代でも知多四国霊場を巡礼するお遍路さんは、三開山の功績を称え感謝を伝えるために、88ヶ所の札所だけでなく3ヶ所の開山所も参拝し、地域の人達の信仰もあつめています。

3ヶ所の開山所についてご紹介していきます。

知多四国霊場納経帳_亮山阿闍梨開山所妙楽寺

現代の納経帳の開山所妙楽寺のページには、亮山阿闍梨の肖像が弘法大師と並んで描かれています。

 

亮山阿闍梨ゆかりの「妙楽寺」

亮山阿闍梨を祀るのが、知多半島の北中部に位置する知多市にある知多四国霊場79番札所妙楽寺(みょうらくじ)に設定された開山所です。地元の人達は昔の地名から古見(こみ)の妙楽寺と呼んでいて、名鉄の駅名や地域の一部の建物名でも名残を見ることができます。
妙楽寺は、室町時代の明徳元年(1390年)に賢秀阿闍梨が後花園天皇の祈願寺として開基されました。戦国時代の天正6年(1578年)に、不運にも兵火に襲われ、御本尊の薬師如来、地蔵菩薩、大黒天、白山大権現は救いだされたものの、それ以外の建造物などは全て焼失し、江戸時代に入って寛永12年(1635年)に、現在地に再興されています。

知多四国霊場の開創に貢献した亮山阿闍梨が住職をつとめていた寺院で、境内には銅像が建っており、79番札所としての本堂・弘法堂とは別に、亮山阿闍梨を祀るお堂があり開山所になっています。また、亮山阿闍梨が実際に使った納経帳や手甲などの歴史的価値のある貴重な品々が大切に保管されていて、イベントなどで特別に公開されることもあります。
開山所の御朱印・納経印は、妙楽寺の納経所で79番札所のものと一緒にいただくことができます。

知多四国霊場79番札所妙楽寺_亮山阿闍梨開山所

妙楽寺はじっくりお参りできる落ち着いた雰囲気ですので、亮山阿闍梨の功績に想いを馳せてみてください。

 

武田安兵衛ゆかりの「葦航寺」

武田安兵衛を祀るのが、知多半島の南部に位置する美浜町の北部・布土(ふっと)地域にある葦航寺(いこうじ)です。布土という地名は、明治時代から昭和時代初期までこの地域で磨き用の砂を採掘していたことからきているそうです。
葦航寺は、元亀元年(1570年)に玄光和尚によって開創されました。御本尊は釈迦牟尼仏・釈迦如来で、境内に武田安兵衛の石像があり、その功績を称えています。

葦航寺_武田安兵衛開山所

お寺のすぐ横を名鉄河和線が走っていて、境内でお参りしていると、名鉄電車が通過するのが見える珍しいロケーションです。

 

岡戸半蔵ゆかりの「誓海寺禅林堂」

岡戸半蔵を祀るのが、知多半島の中南部位置する美浜町の古布(こう)地域にある知多四国霊場27番札所誓海寺(せいかいじ)に設定された開山所「禅林堂(ぜんりんどう)」です。古布地域は、緑が深い山々が連なり、みかん畑の多く、6月〜9月までの夏みかん「みはまっこ」と、11月中旬〜12月下旬までの冬みかん「あまみっこ」のブランドみかんが知られています。シーズンになると、みかん狩りを楽しむことができるスポットが複数あることから、観光客でもにぎわいます。

誓海寺は、室町時代後期の弘治元年(1555年)に周栄和尚が開基されました。現在は、山に囲まれた静かな地域に立地していますが、以前はもう少し海側の地域にありました。戦時中の昭和19年(1944年)に河和海軍航空隊の施設が建設されることになり、強制移転命令を受け、村ごと現在地に移転したという歴史があります。

知多四国霊場27番札所誓海寺

最近は、いろいろな種類の御朱印を授与していることでも有名になっていて、御朱印集め好きに人気の寺院になっています。

境内の弘法堂の隣に禅林堂と呼ばれるお堂があり、岡戸半蔵が祀られています。岡戸半蔵は文政7年(1824年)3月に73歳で誓海寺で亡くなりました。禅林堂の名前の由来の詳細は不明ですが、岡戸半蔵の戒名「冷月院 禅林 逸学庵主(れいげついん ぜんりん いつがくあんしゅ)」から禅林をとったものと思われます。

知多四国霊場27番札所誓海寺_岡戸半蔵行者の石像_供養塔

弘法堂と禅林堂とのあいだには、岡戸半蔵の石像と、文化13年(1816年)に建てた妻子の供養塔(大乗妙典六十六部供養塔)があります。

 

開山所の巡拝ルート

知多四国霊場の納経帳では、88ヶ所の札所の次に3ヶ所の開山所のページがありますので、88ヶ所をすべてまわり終えてから開山所を参拝しなければいけないと思われている人もいますが、知多四国霊場は開山所も含め、札所の順番が現代の地理的には入り乱れている場合があるので、巡拝順にこだわらないことを推奨しています。

妙楽寺開山所はもちろん79番札所妙楽寺と一緒にお参りいただき、そのあと78番札所福生寺(ふくしょうじ)から72番札所慈雲寺(じうんじ)に向かう順番もおすすめです。

葦航寺開山所は、地理的には25番札所円観寺(えんかんじ)と番外札所影現寺(ようげんじ)の間に位置しているので、札所順にこだわらずにこのエリアを訪れた際にまとめて参拝するとよいでしょう。葦航寺より南の三河湾を望める海岸線は、海の絶景を楽しむことができる最高のロケーションです。

誓海寺禅林堂開山所も27番札所誓海寺と一緒にお参りください。

知多四国霊場では、自分なりのルートを見つけながら巡拝していくのも楽しみのひとつです。

 

知多四国霊場が現代に存在するのは三開山の功績あってこそで、開山所はこれまで多くのお遍路さんが参拝してきた聖地です。知多四国霊場を巡拝される際は、三開山の努力を感じながら、ぜひ開山所にも訪れてください。

 

【「知多四国霊場開山所」 地図】

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この記事を書いた人

知多半島のお寺が好きで、知多四国霊場を中心にいろいろな霊場を巡礼し、観光やご当地グルメ(特にラーメン)も楽しんでいます。御朱印集めも趣味で、知多半島のお寺の御朱印はもちろん、全国各地の御朱印をもらいに巡り、アート御朱印などは取り寄せたりもしています。