四国八十八ヶ所霊場参りで香川県の遍路道を歩いているとよく目にする看板があります。香川県の第一地銀「百十四銀行」のキャッチコピーが描かれていますが、創業の地で戦火を乗り越えた昔ながらの店舗が現存します。
百十四銀行高松支店(旧本店)
高松市中心街の丸亀町商店街のアーケードに面した場所にクラシックな造りの建物がありますが、こちらが「サリュ!」の主。
この場所を四国遍路道中で通るかといえば、通常は通行しないお遍路さんのほうが多いように思います。訪れるとしたら栗林公園の見学を計画している場合や、宿泊場所の都合で街中に来ないといけない時などで市街地中心部を通行する場合。
前後の札所としては、
83番札所一宮寺(いちのみやじ)
84番札所屋島寺(やしまじ)
になります。
国立銀行条例によって設立された銀行
銀行名は明治5年(1872)の国立銀行条例に基づいて開設された銀行の中で「114番目」に承認されたことに由来します。名前こそ「国立銀行」と付いていますが、正確には「国の法に則って設立された銀行」で、国が立てたという意味ではありません。
Q:第一番目の銀行は?
A:
明治6年(1873)…株式会社第一国立銀行開業
昭和18年(1943)…三井銀行と合併して帝国銀行
昭和23年(1948)…第一銀行が分離
昭和46年(1971)…日本勧業銀行と合併し第一勧業銀行
・
平成14年(2002)…みずほ銀行設立
宝くじに当選したことがある人はお世話になったことがある銀行なのではないでしょうか。以前は「だいいちかんぎん」と呼ばれた、現在のみずほ銀行が国法に則って設立された第一番目の銀行。初代頭取は次の一万円札の顔である澁澤榮一(しぶさわえいいち/1840-1931)です。
百十四銀行は同条例によって明治11年(1878)11月1日に設立されました。大正13年(1924)に高松銀行との合併により高松百十四銀行となりますが、昭和23年(1948)に設立当時の百十四銀行に改称して現在に至ります。
百十四銀行のように行名に国立銀行条例名残の番号がついているのは今となっては珍しく「ナンバー銀行」と呼ばれます。令和3年の今、国立銀行条例によって設立されたナンバー銀行は、
十六銀行(岐阜県岐阜市)
七十七銀行(宮城県仙台市)
百五銀行(三重県津市)
百十四銀行(香川県高松市)
の四行しかありません。
行名に番号が冠されている銀行であっても、例えば八十二銀行(はちじゅうにぎんこう、長野市)は第十九銀行+六十三銀行が合併したもの、セブン銀行(東京都千代田区)は屋号からくるもの、などナンバー銀行とは異なる銀行も存在ます。
ナンバー銀行であるかどうかが我々の生活に直接関わりがあるのかどうかはさておき、「クラシックな行名」を今に引き継いでいるという観点でみると、百十四銀行は貴重な存在といえます。
昭和41年(1966)11月に現本店社屋完成によって本店機能が移転。こちら旧本店は高松支店となりました。これはこれで、本店所在地の都市名を支店が名乗っているのは全国的に見ても稀な例であるように思います。
装飾が施された近代建築
こちらの銀行が建てられた同年同月、朝日新聞出版から「アサヒカメラ」が創刊されています。同誌は定期刊行の写真雑誌として最も古い歴史を持っていましたが、部数低迷や新型コロナウイルスの影響により令和2年(2020)7月号をもって94年の歴史に幕を下ろしています。
建物の第一印象から石造り総三階建てのような印象を受けますが、実際には鉄筋コンクリート造り。新築当時は2階建てで、3階部分は昭和27年(1952)2月に増築された部分になります。
2階部分のテラコッタ装飾より上部は後年増築された部分になるのですが、それを知らなければ気づかないほどの匠の技がここにはあります。
中央部にある紋章は百十四銀行の社章。「百」を「十」が「四つ」囲むことで「百十四」だそうです。
アナログ時計と、レトロな街灯。建物の主が古さが希少なものと認知していて、それを大切にしているとても良い形がここにはあるように思います。
窓口が閉まっていてもATM利用時間内であれば、南側の入口から出入りすることができます。
と、ここで再び「サリュ!」が登場するわけですが、このキャラクター・キャッチコピーは百十四銀行のATMの愛称だそうです。
「Salut」
「やあ!」のような気軽な挨拶の際に用いるフランス語。気軽にATMを利用してね、という意味なのでしょうか。
南側にあるこちらATMコーナーの上にかけられている屋根はブロンズ製。屋根さえレトロな建物を邪魔しない造りになっています。
建物周囲を彩る装飾のうち、南東角の部分には大黒天の顔を模したというテラコッタ飾りがあしらわれています。
日本において「大黒さま」は、米俵にまたがり手には打ち出の小づち。微笑みの相を持つ七福神の一柱として、食物と財福を司る神として信仰されています。そのご利益を考えると銀行にはピッタリのキャラクターだと思います。もし当行を訪れる機会があった際は、周囲を観察して大黒さまを探してみてください。手を合わせると良いことが起こりそうです。
戦禍を乗り越えて現存する建築物
北面…建物と隣接していて観察不可能
西面…正面
南面…ブロンズの屋根、大黒さまなど
東面…?
建物の真裏にあたる東面は、これと言って特徴はありません。化粧タイルやテラコッタ飾りなどもなく、ここだけ見れば普通の鉄筋コンクリート建造物です。
平成21年(2009)7月。耐震補強工事を行うにあたり東側にあった建物を解体したところ、この部分に空襲対策として黒い塗料で施された迷彩模様の壁が現れ話題になりました。こちらの建物は昭和20年(1945)7月4日の高松空襲で焼けずに残った建物の一つですが、終戦後ほどなくして隣に建物が立ち人目に触れなくなったため、迷彩塗装がそのまま残されていたとのことでした。現在は綺麗に塗り直されています。
※迷彩塗装が施された壁材の一部は高松市平和記念館に保存されています
高松市平和記念館(高松ミライエ5階)→http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/shinotorikumi/jinken/keihatsu/heiwa/index.html
街の80%を焼失するという甚大な被害が発生した高松空襲。市街地にあった多くの建物がその空襲で焼けて失われました。焼けずに残った僅かな建造物も区画整理や老朽化等によりによる建て替えられ、規模の大きい建造物で現存するものは百十四銀行高松支店(旧本店)が唯一の存在と言っても過言ではありません。
遍路道中であってもなくても一度ご覧いただきたい。そんな希少な建物がこちらの銀行です。
※高松空襲に関しては、以下リンクの記事で詳しくご紹介しています。
百十四銀行のホームページ内で、建造当時の2階建ての写真、高松空襲直後の焼け野原に立つ様子、迷彩模様の写真などを見ることができます。
百十四銀行の歴史(百十四銀行ホームページ): https://www.114bank.co.jp/company/about_114bank/history.html
【「百十四銀行高松支店(旧本店)」 地図】