四国のほぼ中央部、高知県本山町と土佐町にまたがる「早明浦ダム」は、ダムの水位に関して夏になるとメディアによく登場します。2024年の夏は例年にはない光景が見られました。
水資源機構「早明浦ダム」
早明浦ダムは「さめうらだむ」と読みます。石鎚山系の瓶ヶ森(かめがもり、1,897m)の南側から流れ出して徳島県へ注ぐ四国一の大河である吉野川上流にあるダムで、四国最大の規模を誇ります。早明浦ダムで蓄えられた水は四国四県へ配分されることから「四国のいのち」の別名があります。
その四県の一つである香川県は、年間を通して降水量が少なく大きな河川が少ないため、有史以来旱魃と水源確保に苦心してきました。一方で吉野川が県域を横断するように流れる徳島県では、日本三大暴れ川の一つである四国三郎と呼ばれ、住民の生活はたびたび発生する洪水に脅かされてきました。そこで香川県へは水の安定供給、徳島県は吉野川流域の安全を図るために整備されたのが早明浦ダムと香川用水です。昭和50年(1975)に完成しました。
ダムの完成によって、香川県の水事情は飛躍的に改善され「水不足は過去のもの」とばかりに、使用していない井戸は子どもが落ちたら危ないなどの理由により井戸終いが奨励される動きさえあったといいます。上水道の100%を香川用水に依存する自治体もありました。
渇水の象徴となった旧役場跡
早明浦ダムが完成してから約20年後の平成6年(1994)は、全国各地で雨が少なく西日本を中心に上水道の供給が停止する断水が実施されました。この時に高松市で行われた時間断水は9月30日までの67日間、給水制限は11月14日に解除されるまでの139日間に及び、市民の生活に大きな影響を及ぼしました。四国八十八ヶ所霊場の札所でも手水が使えなくなったり、トイレが封鎖されたりしました。
その渇水騒動の映像として連日報道されたのが、早明浦ダム上流の大川村にある旧大川村役場跡です。
早明浦ダム=水が無いダム=渇水になると旧役場が現れる
ダムの水位が低下して不気味に姿を現した旧役場は、渇水の象徴として全国民に広く知られることになりました。近年では平成17年(2005)と平成20年(2008)にもダムの水位が0%になり、旧役場跡の出現はあまり珍しいものでなくなった感があります。
さて2024年はいかがでしょうか。上の写真の旧役場は2024年2月に撮影したもので、2024年は暖冬で降水が少ないまま春に差し掛かり、梅雨まで水はもつのかとささやかれていました。しかし夏になってみると、以下の写真の通りです。
2024年夏の早明浦ダム
湛水は2024年ならではのもので、例年はこれよりもっとダムの水位が低いことのほうが多いです。
早明浦ダムに十分水があるどころか、そのままにしておくとダムが決壊してしまうためか、2024年6月下旬には放水が行われておりました。放水自体はこれまで通りがかったときに何度か目にしたことはありますが、全部で六門あるゲートのすべてが開放される放水を見たのは今回が初めてです。水が無いとばかりイメージしている早明浦ダムで水があふれている姿を見るのは不思議な感じがします。
同じ場所で下流に向いて撮影したのが上の写真です。橋の下流にある白く見える部分は舗装されていて、通常駐車場などに利用されているスペースですが、ダムの放流によってこの時は水没していました。
2000年代の早明浦ダムは頻繁に貯水量低下が起きていたイメージですが、昨今はゲリラ豪雨や線状降水帯の発生などむしろ雨が一度に降り過ぎて土砂崩れなどの災害が頻発している印象があります。
2024年の四国地方は7月中旬になってもまだもう少し梅雨が続くようです。梅雨や台風によって大きな被害が出たり、せっかく立てられた旅行の計画がうまくいかなくなるようなことがなく、無事に四国遍路や四国の夏旅を楽しんでいただけますよう願っています。
2024年夏・全門開放の大放水「早明浦ダム」
早明浦ダム放水の様子を空撮動画で取り上げていますので、こちらもぜひご覧ください。
【「早明浦ダム」 地図】