最後の清流と名高い高知県の「四万十川」。四万十川は、本流にはダムが無いと一般的にはいわれ、このことがきれいな水質にも影響しているとされていますが、これは本当のことなのか現地で検証してみました。
—– こちらの記事に登場する主な地名・単語
四万十川(しまんとがわ)
第37番岩本寺 (だい37ばんいわもとじ)
第38番金剛福寺 (だい38ばんこんごうふくじ)
家地川(いえちがわ)
窪川(くぼかわ)
四万十町(しまんとちょう)
堰堤(えんてい)
伊与木川(いよきがわ)
五社(ごしゃ)
高岡神社(たかおかじんじゃ)
黒潮町(くろしおちょう)
佐賀(さが)
高南台地(こうなんだいち)
本流にダムの無い川かどうか?
高知県の最後の清流として名高い「四万十川」にお遍路道中で出会う機会は、37番札所岩本寺の手前でかつての札所である五社(現・高岡神社)に立ち寄った時か、37番から38番へ向かう道中で四万十市を通過する際のどちらかとなる。
<四万十川は "悠久の流れ" と称されるように豊富な水量を誇る川であるが、さすがにそれほど水が多いわけではない。
この地点に関しては堰があり、そのバックウォーター(ダムや堰によって出来る静水面)となっているため、そのように見える。
四万十川が清流としてクローズアップされる際、
「本流にダムが無く…」
と紹介されることがあるが、これを見ての通りである。ただし、誤りでもない。
そのカラクリは、日本ではダムの定義を「堰堤の高さを15m以上」と定めているからである。それ以下のものは 「堰堤」 となる。
家地川ダムは便宜上「ダム」と呼ばれるが、法律上は「堰堤」で、そのため 「四万十川は本流にダムが無い川」 を名乗ることができる。
家地川ダムこと佐賀取水堰
正式名称は 「佐賀取水堰」
家地川ダム
や
家地川取水堰
と呼ばれることもある。河川法的には堰堤だが、実態はダムなので、家地川ダムと呼ばれることが多い。
取水堰ができたのが 昭和12年(1937)。このダムの設置によって 窪川町(現・四万十町)など、上流部が受けた環境への影響は大きい。
そのことを心配する声は当時もあったが、徐々に現実味を帯び始めていた戦争に向けて電力確保に躍起になっていた時代ゆえ、川の環境が省みられることはなく、またその事を住民が反対できる時代では無かったため、国策によって四万十川にダムが作られた。
抜かれた川の水が別の水系に放水されるのは珍しい例。これも高南台地というその部分だけ盛り上がった地形によるもの。
ダムによる水力発電所ができた佐賀(現・黒潮町)の街は恩恵を受けることとなり、発展した。
家地川ダム周辺のみどころ
ここで抜かれた四万十川の水は、佐賀発電所を経て伊与木川に放流されるため、二度と四万十川には戻って来ません。
幸いなことに四万十川は多くの支流が存在することから川の名称に「万」や「十」がついた説があるように、ここから先にも非常に多くの河川が流れ込む。国内有数の水質を誇る川たちに浄化され、またその水量によって大河川として復活。皆がよく知る清流の姿となります。
また、家地川ダム付近は桜が多く植えられており、それらが一斉に咲く様子は四万十に春を告げる風物詩ともなります。/p>
※佐賀発電所については、以下リンクの記事で詳細をご紹介しています。
【「佐賀取水堰(家地川ダム)」 地図】