【伊予石城】地域の伝統文化が生んだ「わらマンモス」

43番札所明石寺がある西予市宇和町は宇和盆地に広がる標高200m前後の高原の街。町内のJR伊予石城液の近くに突如現れる稲藁のマンモスが地域の方々や訪れる旅人に親しまれています。

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わらマンモス 後ろ姿

宇和盆地北西部で、列車・自動車どちらからも見える巨大なわらマンモス

 

伊予石城駅の位置と予讃線開通エピソード

伊予石城 路線図

JR四国規格の駅名標と、路線距離を知らせるキロポスト

列車で訪れる場合はJR予讃線(よさんせん)の「伊予石城(いよいわき)駅」で下車します。字は難しくないのですが石を「いわ」と読ませるのが難読点。島根県東部の旧国名が石見國と書いて「いわみのくに」なので読めなくもないのですが、窓口で切符を購入する際は注意が必要です。
駅名標の下にある白く塗装された四角柱は「キロポスト」と呼ばれるもの。「272」「3」の数字が目に入りますが、これは路線が始まる起点からの距離。すなわち予讃線の起点は高松駅なので、そこから「272.3km」来たことになります。

0…高松(↓香川県)
72.2…川之江(↓愛媛県)
194.4…松山
272.3…伊予石城
297.6…宇和島

伊予石城駅 駅名標

伊予石城駅の位置関係と、この区間開通にまつわるエピソード

わらマンモスがある伊予石城駅は鉄道・県道共に八幡浜(やわたはま)へ向かうルート上なので、四国八十八ヶ所の遍路道からは大きくそれる場所。もし順打ちの歩き遍路道中で見学に向かうのであれば「卯之町(うのまち)」「上宇和(かみうわ)」の両駅が遍路道沿いなので、そこで一旦八十八ヶ所参りを中断して列車移動するのが賢明なように思います。春にれんげの花が咲く頃や、晩秋の随所に「わらぐろ」が積まれた時期は一見の価値ありです(※後述)。

周辺路線図の上では「ああ、終点の宇和島はもう近いんだな」と感じますが、こちら伊予石城駅の辺りが予讃線最大の難所区間。愛媛県は松山市や伊予市を過ぎると地形は山がちになり、その斜面を生かした畑地でミカン栽培が行われているといえば聞こえは良いのですが、近代交通が無ければ往来はたいへんです。
それはルートが異なっても四国八十八ヶ所の第40番観自在寺(かんじざいじ)から第46番浄瑠璃寺(じょうるりじ)にかけての南予の遍路道も同じ。隣町、次の札所へ行くのに坂や峠が大体あります。

そのような場所なので工事が難しく、鉄道が開通したのは幹線路線としては新しく昭和20年(1945)6月。終戦の2ヶ月前というタイミングでした。
それも見方によっては戦争があったからどうにか開通できたもの。沖縄が陥落して本土決戦が濃厚になると、次なる米軍上陸地は九州南東部か四国南西部が予想されたため、物資や兵員を大量輸送することができる鉄道が必要不可欠になります。しかしながらその時点の日本には、新しく鉄道を敷設する力は残されていません。特に鉄は家の鍋釜を供出させるくらい不足していたため、レールの入手が課題でした。そこで同じ愛媛県内の伊予鉄道高浜線に白羽の矢が立ち、といえば聞こえは良いですが、自社の力で複線化を達成していた路線の片側線を剥がすことによりレールを入手。それを運び突貫工事が行われ終戦までにどうにか全通を果たした。というのが当駅を含む予讃線最後の開通区間にまつわるエピソードです。
なお線路が剥がされ単線化された伊予鉄道高浜線ですが、戦後に順次工事が行われ大部分は再複線化を果たしましたが、末端部分の梅津寺(ばいしんじ)駅-高浜の間だけは、単線化されたままになっています。

 

愛媛の雪国

伊予石城駅 雪囲い信号機

特徴的な信号機のフードは雪国で見ることができる形状

伊予石城駅はプラットホームが二面あるので信号機が二つ。ここではその信号機の形状に注目。電球が庇(ひさし)に覆われた形状になっています。
こちらは雪国で用いられているもの。信号機に着雪があり信号機の灯りが見えなくなると安全運行に支障をきたします。かといってその都度職員が駆けつけて雪を払うのは相当な労力で、その時来れるかどうかもわかりません。そのため信号機に雪が積もらないようになっているのがこの形です。現代はこのフードにヒーティング回路が組み込まれていて、熱で信号機周りの雪を解かす装置もあるようです。

いずれにしろ信号機がこの形状であるということは、この土地は積もるほどの雪が降るということ。四国というと温暖なイメージがありますが、全てがそうなわけではありません。高い山の上だけでなくこのような人里でも雪が積もるエリアがあるので、冬期間の四国八十八ヶ所参りには注意が必要です。

参考記事
【冬の四国遍路】冬期間の八十八ヶ所まいりはご用心。四国にも雪は降ります。

2018年、2019年の冬は極めて雪が少なかったのですが、2020年の冬は12月から雪が積もる日があるなど、久しぶりに本格的な冬がやってきそうです。

 

わらマンモスを支える人たち

伊予石城駅 プラットホーム

駅とわらマンモスの位置関係

列車を下りてマンモスへ向かうことにします。写真中央左、反対側のプラットホームのフェンス裏に見えているのが「わらマンモス」。駅から歩いて3分くらいです。

その前に、なぜこの場所で「稲藁(いねわら)」なのか。写真右端、駅名標の裏に乾燥藁が積まれたものがありますが、これを当地では「わらぐろ」と呼びます。わらぐろとは、収穫が終わった稲を後日藁として利用するために現場で干しつつ貯蔵したもの。稲藁の利用は全国で広くみることができる我が国が誇る文化といえるものですが、ところ変われば干し方が変わったり、その呼び名も地域によって異なります。津波教訓話に「稲むら火」というものがありますが、「稲むら」と「わらぐろ」は同じものだと思います。

稲むらの火のエピソードが登場する記事
【77番札所道隆寺→78番札所郷照寺】世界的に知られる津浪教訓話の基となった地の施主による標石

宇和町石城地区ではこの「わらぐろ製作」が伝統的に行われていて、その文化継承を積極的に行っている団体があります。

宇和わらぐろの会ホームページ: http://www.waraguro.com/

わらマンモス 3頭

マンモスの近くまでやってくると、右奥にはわらぐろが見えます

この時はマンモスは3頭。以前見た時は大小2頭だった気がするので、近年1頭増えたようです。

親マンモス「稲穂(いなほ)」…高さ7m、幅3.5m、長さ10m
子マンモス「れんげ」…高さ3m、幅2m、長さ6m

大きさは実際のマンモスの大きさを参考に製作されているそうで、平成23年(2011)が初出。子マンモスの名前に「れんげ」と付いているように、宇和町(現・西予市)はれんげ畑が広がる景観が街のシンボルになっていて、毎年4月29日のレンゲの花が咲き誇る頃には「れんげ祭り」が行われます。わらマンモスはその開催に合わせる形で、宇和わらぐろの会さんや地域の人々の協力を得て製作されました。マンモスたちの名前は、町内の石城小学校の児童たちによって付けられたそうです。
平成29年(2017)にはリニューアルが施され鉄筋を内蔵。長い鼻を大きく上げる振り上げる姿など、マンモスの魅力である力強さを表現できるようになりました。

 

移り変わる四季が魅力

わらマンモス 列車内から

列車で通過する際にマンモスを撮ってみたもの

先の写真は夏前の田植え時期で、こちらは秋の稲刈り頃。季節によってマンモスが居るロケーションが変化することも、わらマンモスの魅力の一つなように思います。
それでいくと冬は一見殺風景なように思いますが、そこは稲刈りが終った田んぼに本家「わらぐろ」が登場。その時期に訪問したことはありませんが、稲藁の共演もきっと素敵なものだと思います。
個人的に一番見てみたいのは雪がしんしん降り積もる中のわらマンモス。マンモスの故郷・シベリアの大地を彷彿させるように…ならないでしょうか。

 

【「伊予石城 わらマンモス」 地図】

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この記事を書いた人

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。