【41番札所龍光寺】山門が鳥居で神仏習合の歴史を色濃く残す「三間のお稲荷さん」

宇和島市三間町にある41番札所龍光寺に到着して、第一印象で違和感を感じたのが「鳥居」をくぐってお寺に入ること。このお寺は、神仏習合の歴史を色濃く残し、「三間のお稲荷さん」として親しまれる穀倉地帯の守り神なのです。

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40番札所観自在寺からいくつもの峠を越えること50kmの道のり

40番札所観自在寺を参拝してから、南予のいくつもの峠を越える道のりを歩くこと約50km、道中の宇和島市津島町の「針木ふれあい広場」、宇和島市街の「宇和島第一ホテル」での2泊をはさんで、この日は朝一番で41番札所「龍光寺」に到着しました。
50kmという距離は、6番目に長い札所間距離で、室戸岬や足摺岬へのわかりやすい長距離歩行とは違って、そんなに遠いイメージがなく、知らないうちに苦労させられるような道のりに感じました。
その象徴ともいえるのが、龍光寺手前の宇和島市街から三間町への地味に辛い登り道でした。
※宇和島市街から三間町への遍路道の様子は、以下リンクの記事もぜひご覧ください。

【宇和島市街→41番札所龍光寺】三間町への地味に辛い登りのあとは旧遍路道で「道の駅みま」へ

務田駅

前日に「道の駅みま」まで歩いていたので、この日はJR予土線の始発で龍光寺最寄りの務田(むでん)駅に電車移動して、まだ日が昇らないうちからスタートしました。

 

山門が「鳥居」の珍しいお寺

41番札所「龍光寺」に到着して、第一印象で違和感を感じたのが「鳥居」をくぐって、お寺に入ることです。

龍光寺 参道 鳥居

この石造の鳥居が山門なのだそうです。民家やお店が立ち並ぶ参道を通って、石段を登った先が41番札所龍光寺の境内です。

これまでの札所で、徳島の13番札所大日寺や、高知の30番札所善楽寺のように、地域の一宮の別当寺として神仏習合の歴史を感じるお寺はありましたが、鳥居が「山門」のお寺は初めてです。
参道を通り、石段を登った境内の入口には、守護役として「仁王像」ではなく「狛犬」が迎えてくれますし、「狐」がいたと思えば「水子地蔵」もいらっしゃっいます。

龍光寺 南予七福神霊場 恵比寿尊

南予七福神霊場の3番霊場で「恵比寿尊」のお寺でもあります。

このことには、当然のことながらお寺の縁起が深く関係していて、大同2年(807年)に空海がこの地を訪ねた際に、稲束を背負ったひとりの白髪の老人があらわれ、「われこの地に住み、法教を守護し、諸民を利益せん」と告げて、忽然と姿を消し、空海はこの老翁が五穀大明神の化身であろうと悟り、稲荷明神像を彫造し、同時に本地仏とする十一面観世音菩薩と、脇侍として不動明王、毘沙門天も造像したそうで、神仏習合で開創されたとのことです。

 

「三間のお稲荷さん」として親しまれる穀倉地帯の守り神

その後、明治維新後の廃仏毀釈・神仏分離の影響は受けるものの、旧本堂が「稲荷社」として境内に残っていて、神仏習合の歴史をこれだけ色濃く感じることのできるお寺、中でも四国霊場ではとりわけ珍しいと思います。

龍光寺 本堂 旧本堂稲荷社

現在の本堂は明治時代の神仏分離以後に新たに建造され、旧本堂が現本堂から更に石段を登った先に、真っ赤な鳥居とともに稲荷社として残っています。

また、三間(みま)の地域は、四万十川の上流のひとつである「三間川」が流れる盆地で、昔から穀倉地帯で現在でも特別栽培米の「三間米」を栽培する良質なお米の産地です。
龍光寺は、その穀倉地帯の守り神として「三間のお稲荷さん」と呼ばれて親しまれてきたそうです。

龍光寺 三間盆地

穀倉地帯を見渡すのにベストな高台に龍光寺があります。山あいに平地が広がる盆地の景色はのんびりした気分になり、落ち着きます。

 

41番札所龍光寺は、神仏習合の歴史を知ることができる史跡が残り、また地域とつながり愛されてきたことを強く感じる印象深いお寺でした。

 

【41番札所】  稲荷山 護国院 龍光寺(いなりざん ごこくいん りゅうこうじ)
宗派: 真言宗御室派
本尊: 十一面観世音菩薩
真言: おん まか きゃろにきゃ そわか
開基: 弘法大師
住所: 愛媛県宇和島市三間町戸雁173
電話: 0895-58-2186

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この記事を書いた人

お遍路さん初心者です。  2015年1月20日(火)に1番札所を出発し、2015年3月1日(日)に41日間で88番札所で通し歩き結願を果たすことができました。 2015年4月12・13日の2日間で、開創1200年で盛り上がる高野山にお礼参りにも行ってきました。 自身の通し歩き遍路体験を元にお役立ち情報を発信しています。