【香川県高松市】残された標石から考察する香川県の交通網の歴史

高松市郊外にある変則的な交差点のわかれ又に大きな標石と石造りの燈籠が立っています。この場所は、香川県の街道整備の根拠となっていたこんぴらさんとの関連や四国遍路巡礼とのつながりもある交通の要衝です。

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塩江街道・仏生山街道分岐点

右が塩江街道で、この場所から左に向かって仏生山街道が分岐します

 

標石と常夜燈

塩江街道・仏生山街道の分岐点標石と常夜灯

標石→1922年・常夜灯→1831年の建立で、燈籠の方が古い

四国八十八ヶ所の遍路道で頻繁に目にする中務茂兵衛標石より大きく、この場所を自動車で通りすぎるときにもすぐに目に入る大きさ。その後ろにある石燈籠は常夜灯で、とりわけ香川県内においてこの形は「金毘羅燈籠(こんぴらとうろう)」と呼ばれるもの。ここから金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん、現・金刀比羅宮)へ続く道であることを知らせています。

塩江街道・仏生山街道の歴史案内看板

全ての道は金毘羅へ通ずる

となるとこの場所が金毘羅街道(ここでいうそれは金毘羅五街道と呼ばれる特に主要と位置付けられた道)だったのかというと、そうではありません。高松城下から金毘羅へ続く琴平街道(=高松街道)は別の場所を経由しています。かつて四国では「全ての道は金毘羅に通ずる」と称されるほど、四国における街道整備の礎になった歴史があります。この道が金毘羅へ通じていても不思議ではありません。

金毘羅五街道…高松街道、丸亀街道、多度津街道、阿波街道、伊予土佐街道

 

標石の正面に表記されている内容

塩江街道・仏生山街道の分岐点標石 正面

高松道上部にある「北」はフォントの違いから、後年追記されたものかなという印象


高松道
栗林公園三十二丁
坂出四里三十三丁
屋嶋三里五丁
高松築港一里十八丁
丸亀六里二十二丁
八栗三里二十五丁
香西港二里十丁
善通寺七里廿十六丁
志度四里二十一丁

栗林公園(りつりんこうえん)…高松市
坂出(さかいで)…坂出市
屋嶋(やしま)…高松市東部 ※84番札所屋島寺(やしまじ)
高松築港(たかまつちっこう)…高松市
丸亀(まるがめ)…丸亀市
八栗(やくり)…高松市東部 ※85番札所八栗寺(やくりじ)
香西港(こうざいこう)…高松市西部 ※別格19番札所香西寺(こうざいじ)
善通寺(ぜんつうじ)…善通寺市 ※75番札所善通寺(ぜんつうじ)
志度(しど)…さぬき市 ※86番札所志度寺(しどじ)
※域内にある四国八十八ヶ所霊場・四国別格二十霊場の札所

こちらの標石は香川県内で陸軍大演習が行われたことを紀念して建てられた石。記載内容は街道の主要地点を示したもので、四国遍路の情報に関しては副次的なものといえます。例えばここでいう「善通寺」は「善通寺町」という自治体名を指しているものと思われます。「北」と書いているように、主にはこの場所から北の方角に位置するものばかり。けれど並びがバラバラなので勝手ながら整理してみると、

標石
↓①
栗林公園
↓①
高松築港→②→香西港→坂出→丸亀→善通寺
↓③
屋嶋
↓③
八栗
↓③
志度

①高松琴平電気鉄道琴平線に相当。この当時未開業。
②JRに相当。
③高松琴平電気鉄道志度線に相当。JR高徳線は未開業。

現代の公共交通機関に当てはめてみるとこんな並びになります。善通寺だけこの場所より南にあるのが不思議で方角のカテゴリでいえば右面の類。当時開通していた交通機関で考察してみると、一度高松駅に出て省線讃岐線(現・JR土讃線)で善通寺駅へ向かうことを意味しているのかな、という感じでしょうか。

琴平線…大正5年(1926)12月開業
志度線…明治44年(1911)11月開業
長尾線…明治45年(1912)4月開業

 

標石の右面に表記されている内容

塩江街道・仏生山街道の分岐点標石 右面

主に「南」の方角を表している面で、いくつか県境を越えてお隣の徳島県の地名が含まれている

安原道
右(指差し)
塩ノ江四里二十八丁
一ノ宮二十七丁
清水六里二十二丁
滝ノ宮三里二十四丁
脇町十里七丁
琴平七里

安原(やすはら)…高松市塩江町安原
塩ノ江(しおのえ)…高松市塩江町
一ノ宮(いちのみや)…高松市一宮町 ※83番札所一宮寺(いちのみやじ)
清水(しみず)…徳島県美馬市脇町西俣名 ※別格20番札所大瀧寺(おおたきじ)
滝ノ宮(たきのみや)…綾歌郡綾川町滝宮
脇町(わきまち)…徳島県美馬市脇町
琴平(ことひら)…仲多度郡琴平町
※域内にある四国八十八ヶ所霊場・四国別格二十霊場の札所

地名を並び変えて考察してみます。

標石
↓①③
↓→①→一ノ宮→滝ノ宮→琴平
↓②③
安原
↓②③
塩ノ江
↓③
清水
↓③
脇町

①高松琴平電気鉄道琴平線に相当。この当時未開業。
②琴平電鉄塩江線。昭和16年廃止。
③徳島西部交通穴吹線。平成24年廃止。

右面が表している方角・目的地は二種類あって、この先で西に分岐して金毘羅街道へ向かうルート。そこで分岐せずに南に向かって香川・徳島の県境を越えるルート。

一宮から琴平は現在同ルートに沿う形で「高松琴平電気鉄道琴平線」が運行されていますが、こちらの石が建てられた時代は未開通。この4年後に滝宮まで。その半年後に琴平まで開通することになります。よってここで金毘羅詣の順路を知らせているとしたらそれは徒歩でのもの。江戸時代と同じ形態です。この時代には省線(現・JR)が高松から琴平まで開通しているので、徒歩で高松駅へ向かって列車でこんぴらさんへ行く方が早くて楽チンではあります。

南の方角にある塩江は古くから「讃岐の奥座敷」と呼ばれた温泉地。戦前には温泉歓楽街として開発され少女歌劇団が活動していたこともあります。これは琴平電鉄が関西の阪急電車を手本にして建設されたことに由来します。その手本となったものはもちろん宝塚歌劇団です。他では三路線が一堂に会する瓦町駅(=十三駅)に阪急と似た特徴を見ることができます。
その塩江温泉から脇町への県境越えルート(清水越え)が現在の国道193号。古くは徳島からこんぴらさんへ向かう金毘羅街道(阿波街道)でもありますが、阿波街道は三頭越え(さんとうごえ、現在の国道438号)が本街道で、それ以外の道は脇街道の位置付け。清水越えの特徴は峠の傾斜は緩やかであるけれど距離が長くなるという、メリット・デメリットがありました。この道には公共交通機関として近年まで「高松-穴吹」間の路線バスが運転されていましたが、現在通しで運行されている公共通機関は存在しません。

 

標石の左面に表記されている内容

塩江街道・仏生山街道の分岐点標石 左面

主に「南東」の方角を表している面

佛生山道
左(指差し)
佛生山十九丁
白鳥八里
平木二里十四丁
引田九里十七丁
徳嶋十七里十丁
長尾三里十九丁

佛生山(ぶっしょうざん)…高松市仏生山町
白鳥(しろとり)…東かがわ市白鳥
平木(ひらぎ)…木田郡三木町大字平木
引田(ひけた)…東かがわ市引田
徳嶋(とくしま)…徳島県徳島市
長尾(ながお)…さぬき市長尾 ※87番札所長尾寺(ながおじ)

標石

佛生山

平木
↓①
長尾

白鳥
↓②
引田
↓③
徳嶋

①高松琴平電気鉄道長尾線に相当。
②JR高徳線に相当。この当時未開業。

旧高松市南部に位置する仏生山は法然上人(ほうねんしょうにん)に由来する法然寺(ほうねんじ)を中心とした門前街。同寺院は江戸時代に高松松平家の墓所となり、その巡礼や製麺業者を誘致したことにより、街が大きく栄えました。この面で記されている地名を並び替えてみると、その仏生山から南東へ続いていく街が並びます。
ただしこの並びは仏生山経由で徳島を目指す場合のもので、長尾など東讃(とうさん)・阿波を目指す場合は高松城下から南東に分かれている長尾街道の方が距離が近く、本街道格です。琴平電気鉄道長尾線もその街道に沿って敷設されています。

 

標石の裏面に表記されている内容

塩江街道・仏生山街道の分岐点標石 裏面

国をあげての行事が香川県で行われた年に建てられたもの

大正十一年秋陸軍大演習紀念在郷軍人太田支部會建之

大正11年は西暦1922年。同年秋に善通寺町で帝国陸軍の大演習が行われました。演習とは東西軍に分かれて模擬戦闘を行う実戦形式の訓練。三豊郡と仲多度郡において三日間にわたり挙行されました。その一大行事の統監役として皇太子殿下(後の昭和天皇)が訪れることもあって、様々なインフラ整備が行われたことが香川県史に記録されています。日本最古と噂される善通寺駅の改修も大演習に合わせて行われたものです。

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こちらもその行事に合わせて旧来の街道が改修され、新たに建立された標石なのかなという印象を受けます。標石と常夜燈が残されているこの場所は主要街道ではないものの、解釈を拡大して考えると「香川県の中央部」とも取ることができます。記されている行先の東西南北多様さを見るに、この土地で暮らす住民にとっては今も昔も重要な交通の要衝です。

 

【「塩江街道と仏生山街道の分岐点標石」 地図】

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この記事を書いた人

四国遍路案内人・先達。四国八十八ヶ所結願50回、うち歩き遍路15回。四国六番安楽寺出家得度。四国八十八ヶ所霊場会公認先達。 高松市一宮町で「だんらん旅人宿そらうみ(http://www.sanuki-soraumi.jp/)」を運営。