【袋山】讃岐の基準ラインの中核となる均整のとれた円錐形の山容

西の善通寺から東の屋島北嶺までを結ぶ、讃岐のレイラインの大動脈の中核に位置する聖山である袋山をピックアップします。袋山の位置を詳細にみていくと、重要な聖山の一つであることが理解できます。

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讃岐レイラインの大動脈

西の善通寺から東の屋島北嶺までを結ぶ、讃岐のレイラインの大動脈については、以前の記事(【讃岐レイライン】善通寺と屋島を結ぶ線は讃岐レイラインの大動脈)でご紹介しましたが、これは単に主要な聖地を結んでいるというだけでなく、このラインで結ばれる個々の聖地が、それぞれその地域の聖地の中心として、レイラインのハブとなっています。
今回は、その中から、中核に位置する聖山である袋山をピックアップしてみたいと思います。上記の記事中でも紹介していますが、袋山の位置を詳細にみていくと重要な聖山の一つであることが理解できます。

 

讃岐の基準ラインの中核「袋山」

袋山は善通寺市の香色山と高松市の屋島を結ぶ讃岐の基準レイラインのちょうど中間点に位置します。善通寺方面から額坂峠越しに遠望できる唯一の東讃の山であり、まさに夏至の日出方向を示す道標のように、その均整のとれた円錐形の山容を望むことができます。

標高は261mあまりでさほど高い山ではありませんが、下記の衛星写真のように他の山系から独立した位置にあり、二至二分方向から北方、南方と全方位に主要聖山をとらえていて、この山がキーポイントとされたことが納得できます。

袋山の頂上には祠がいくつかあり、小広い頂上一帯に花崗岩が露頭していて、古くからここで祭祀が行われていたことを想像させます。

袋山 レイライン位置関係

袋山を起点にして見た他の聖山との位置関係。

袋山 衛星写真

基準点として理想的な位置にあることがよくわかる。

袋山 頂上 祠

頂上には修験の目印である祠が置かれ、あちこちに岩盤が露頭している。

袋山 石清尾山

北東方向(方位角60度方向)には石清尾山が望める。

 

桃太郎神社

袋山の麓には桃太郎神社があります。ここからは、袋山の頂上に冬至の日が沈む形となり、やはり二至を意識しています。ここは、元々「熊野権現」と呼ばれ、袋山を修行場とする修験者たちが祭神を祀っていた場所でした。昭和63年(1988)に祭神を増祀し、熊野権現桃太郎神社とされ、現在では桃太郎神社が通称とされています。

この場所を桃太郎所縁の地としたのは、昭和5年(1930)、笠居小学校(現・高松市立鬼無小学校)の訓導(教諭)であった橋本仙太郎が、四国民報(現・四国新聞)に発表した論文『童話「桃太郎」の発祥地は讃岐の鬼無』に由来します。その中で、橋本は、桃太郎伝説に登場するキャラクターが以下のように比定しています。
 ・桃太郎:第七代孝霊天皇(前342 - 215年)の第八皇子稚武彦命。
 ・鬼:女木島を本拠としていた海賊。
 ・お爺さん・お婆さん:安徳(鬼無町)の大古家(おおふるや)に住んでいた宇佐津彦命の後裔。
  2人は海賊を恐れ、約1.5km内陸にある神高(かんだか、鬼無町山口)に避難し、「やらい屋敷」と呼んだ。
 ・犬:岡山県犬島の住人
 ・猿:香川県綾川町陶の陶芸師猿王(さるおう)
 ・雉:鬼無町雉ヶ谷の住人。
 ・お爺さんが芝刈りに行った山:高松市香西北町の「芝山」
 ・お婆さんが洗濯に行った川:本津川

古代には、この周辺は岡山県側を本拠とする吉備の勢力圏だったこともあり、その文化が色濃く残っていますから、もともと、吉備に伝わる桃太郎伝説が早くに讃岐にも持ち込まれていたのかもしれません。

桃太郎神社

袋山の北東麓にある桃太郎神社。かつては熊野権現と呼ばれ、修験者の本拠地だった。

 

【「桃太郎神社」 地図】

 

讃岐の山の特徴的な形は、それを基準に聖地を形作るのに大きな役割を果たしていたといえます。聖地周辺に残る伝説や他地域とのつながりまで視野を広げると、現代に残る遺跡や伝承から古代の歴史を紐解くヒントになります。

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この記事を書いた人

聖地と呼ばれる場所に秘められた意味と意図を探求する聖地研究家。アウトドア、モータースポーツのライターでもあり、ディープなフィールドワークとデジタル機器を活用した調査を真骨頂とする。自治体の観光資源として聖地を活用する 「聖地観光研究所--レイラインプロジェクト(http://www.ley-line.net/)」を主催する。