【53番札所円明寺】キリシタンをあたたかく見守った「和気の円明さん」

伊予和気の住宅街にとけこんでいる53番札所円明寺は、「和気の円明さん」と呼ばれて地域の人々に親しまれています。江戸時代には隠れキリシタンをあたたかく見守ったともいわれ、おおらかな雰囲気のお寺でした。

スポンサーリンク

 

住宅街にとけこむ「和気の円明さん」

52番札所太山寺に参拝し、仁王門と一の門をくぐって県道183号に戻り2km弱北方向に進むと「和気町(わけまち)」に入ります。
「和気」というかわった地名は、4~5世紀の大和時代に「和気氏」という豪族がこの地域に定住したことがきっかけで名づけられたようです。

JRの伊予和気駅がすぐ近くだったので立ち寄ってみましたが、昔の洋風建築をイメージした凝った造りで見ごたえがありました。

JR伊予和気駅 駅舎

1988年(昭和63年)に旧駅舎が火災で全焼してしまい、1990年(平成2年)に建て替えられたのが現駅舎なので、レトロなデザインながら比較的新しい「伊予和気駅」駅舎。

この駅の周辺に住宅や商店が立ち並び、生活感あふれる街の中に、とけこむようにして建っているのが53番札所「円明寺」です。

円明寺 境内

生活道路沿いすぐに境内があり、お寺の前を地元の人がたくさん行き交っていました。

このような立地が関連してか地域の方々に身近に親しまれ、円明寺は「和気の円明さん」と呼ばれているそうです。

 

創建時は浜近くの七堂伽藍の大寺

円明寺の縁起によると、天平勝宝元年(749年)に聖武天皇の勅願で、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫造して安置し、創建したそうです。
現在のお寺の位置よりも北方向の浜に近い場所で開創されたそうで、元々の山号「海岸山」は立地に由来し、当時は七堂伽藍を備えた大きなお寺だったようです。

その後、平安時代にはお大師さまも訪れ霊場の札所にもなりましたが、鎌倉時代に度重なる兵火で衰退し、江戸時代に入って寛永10年(1633年)に土地の豪族「須賀重久」によって現在地に移され、再興されたとのこと。

円明寺 本堂

創建当時とは場所も雰囲気も大きく変わったであろう円明寺ですが、現在の親しみやすい雰囲気は心地よく感じました。

 

隠れキリシタンが礼拝した「キリシタン灯ろう」

円明寺には、江戸時代に地域の人々に愛されていたであろうことを示す史跡が残っています。
それが、お寺には珍しい「キリシタン灯ろう」です。

円明寺 キリシタン灯ろう

山門をくぐって左側の大師堂の奥に「キリシタン灯ろう」があります。高さ約40cmの石柱で、聖母マリアの姿をかたどっているそうです。

江戸時代にはキリスト教信仰は禁じられていましたが、愛媛県にはキリシタンに関連する史跡が多く残っていて、隠れてキリスト教を信仰する「隠れキリシタン」が存在していたといわれています。
円明寺では、「隠れキリシタン」が礼拝する「キリシタン灯ろう」の存在を黙認し、あたたかく見守ってきたようです。
他宗教を受け入れ、隠れた信仰も見守ることができる心の大きさを感じることができます。
地域に根付き、愛されてきたことを物語るエピソードだと思います。

またお寺には、京都の樋口平人家次が慶安3年(1650年)に奉納したという銅板納札が保存されており、「遍路」の文字が記された資料しては最古のもので、遍路の歴史を知る上でたいへん貴重なものだそうです。
これを発見したのが、大正13年3月に四国遍路をしていたシカゴ大学のスタール博士とのことで、海外とのご縁をひきつけるお寺のようにも感じます。

 

53番札所円明寺は、住宅街にとけこみ、「キリシタン灯ろう」や「銅板納札」のエピソードからも、地域に愛され、懐の深さを感じるお寺でした。
8ヵ寺が集中していた松山市の札所巡りもここ円明寺で打ち納めとなり、次の目的地である今治市を目指して、海岸線歩行を開始していきます。

 

【53番札所】  須賀山 正智院 円明寺(すがざん しょうちいん えんみょうじ)
宗派: 真言宗智山派
本尊: 阿弥陀如来
真言: おん あみりた ていせい からうん
開基: 行基菩薩
住所: 愛媛県松山市和気町1-182
電話: 089-978-1129

四国遍路巡礼に
おすすめの納経帳

千年帳販売サイトバナー 千年帳販売サイトバナー

この記事を書いた人

お遍路さん初心者です。  2015年1月20日(火)に1番札所を出発し、2015年3月1日(日)に41日間で88番札所で通し歩き結願を果たすことができました。 2015年4月12・13日の2日間で、開創1200年で盛り上がる高野山にお礼参りにも行ってきました。 自身の通し歩き遍路体験を元にお役立ち情報を発信しています。